2017.11.28

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"自分は彼らみたいに人生を楽しんでるだろうか?"と考えてほしかった(前編)

WHO I AM チーフプロデューサー 太田慎也

2016年にIPC(国際パラリンピック委員会)とWOWOWが共同で立ち上げ、東京パラリンピック開催の2020年まで5年間にわたり展開するパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。世界最高峰のパラアスリートたちに密着し、彼らの「いま」に迫る。そこにはトップアスリートとして、徹底的に自分と向き合い、勝負の世界においても人生においても自信に満ち溢れる選手たちの姿があった。「これが自分だ!=This is WHO I AM」と輝きを放つ彼らを、日本だけではなく、世界に伝えたい──チーフプロデューサー・太田慎也に聞く。

WOWOWらしい「世界最高」の伝え方

──まず、「WHO I AM」を作ることになった経緯について教えてください。

2020年のオリンピック・パラリンピックが東京開催に決まるだろうと想定されたタイミングで、「いちメディアとしてWOWOWは、東京2020をどう伝えていこうか」とブレストが行われたなかで、出てきたのがパラリンピックだったんですね。

──なぜパラリンピックが出てきたのでしょう?

WOWOWには「国境を問わず、世界トップのエンターテインメントを集めお客様にお届けする」というコンセプトがあって。そのコンセプトと......スポーツを通して国境や肌の色、障がいの有無を超えていく力のあるパラリンピックって、合致するんじゃないかと考えたんですね。日本選手を応援する番組はきっと各局がどんどん企画されるだろうし、そこに埋もれないためにも、「世界最高」というWOWOWの目線をきちんと持ってパラリンピックというテーマに挑もうと思ったわけです。WOWOWのコンセプトも含めて、企画の意図に対して国際パラリンピック委員会(IPC)から共感を得られ、5年にわたる大型シリーズ企画が成立することになったわけです。

──太田さんご自身としては、「WHO I AM」のお話が来たときにどう感じられましたか?

誤解を恐れず正直にお話ししますと......これは今の日本に暮らす多くの方が同じように思われるかもしれませんが、「パラリンピックを仕事にするんだ」って思いましたね。いま思うとそれは、パラリンピックのことを知らなかっただけなんですが......当時は車いすテニスの国枝(慎吾)選手、上地結衣選手、両足義足で初めてオリンピックに出場したオスカー・ピストリウス選手、元F1レーサーのアレックス・ザナルティ選手(=アレッサンドロ・ザナルディ)ぐらいしか知らなくて。

──なるほど。

ただ、「WOWOWにとって重要なプロジェクトになるんだろうな」とは感じました。「すごい番組を立ち上げるから!」って言われたので、「これはちょっと大変かも」って(笑)。プロデューサーに選ばれた嬉しさはありましたが、「パラリンピックってなんだ? 知らないから勉強しないとなあ」って思いましたね。

──具体的には、どういうところから勉強していきましたか?

最初はGoogle検索から入りました(笑)。世界レベルの選手がわからなくて......どのルートで調べても出てくる何人かの選手、おそらくオリンピックでいうと、ウサイン・ボルトやマイケル・フェルプス、内村航平選手クラスのアスリートたちだと思うんですけど、「この人たちの名前は絶対に出てくるなあ」っていうのはわかってきました。でも、近年にパラリンピックを開催した国や、商業として成立している国の選手たちの情報しかほとんどなかったので、「もう観に行こう!」って、世界大会に行きました。

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──2015年7月に行なわれたIPC水泳世界選手権ですね。

そうですね。スコットランドのグラスゴーに10日間くらい行きました。ちょうど、リオでのパラリンピックまで1年ちょっとというタイミングで、世界中の選手が集まっていたんです。何人かの注目選手くらいしか知らない、ほとんど無知に近い状態でしたが、会場に入って「ああ、これはすごいな」って感じましたね。やっぱり心のどこかで「かわいそうな人たちが頑張る場所だから、応援してあげなきゃいけない」って思っていたんでしょうね。そんな自分がちっぽけに感じたし、「そう思ってる俺らのほうが、よっぽどかわいそうだね」みたいなことを、みんなで話しながら帰って来ましたね。

──実際にご覧になられて、純然たるスポーツの大会だった?

もちろんそうです。トップアスリートたちが繰り広げるハイレベルな競技による熱狂と興奮が、そこにはありました。水泳は障がいの種類や程度に応じたクラス分けをされるのですが、重度の障がいのクラスのレースを見ていても、タイムなどとは別の部分で、そこに競技者として魂を注いでいる彼らの姿に感動するし、観戦している観客も、オリンピックで応援しているのとなにも変わらないですよね。

──会場の雰囲気はいかがでしたか?

各国の選手が一堂に会していて、義足、車いす、片足の人、片腕の人など、障がいも色々ですが、開かれた場所というか、みんな楽しそうに仲良くやっているんです。国が違っても、「久しぶり! その義足どこの?」、「どんなトレーニングしてるの?」とかって。もちろん全員が代表選手なのでそれぞれの国のジャージを着てピリッとした雰囲気もありながら、なにかもう一枚......「お互いを認め合う素敵さ」みたいなものが乗っかっている気がして、「これはちょっと見たことがない場所かもしれない」と思いましたね。

──これまで感じたことのない雰囲気だった?

そうですね。僕はそれまでもスポーツ中継に携わることが多かったので、テニスのグランドスラムやラスベガスのボクシング、リーガ・エスパニョーラも観てきていたんですが、なんか種類が違う気がして。「ちょっとこれ、すごい世界じゃないですか?」って会場にいたスタッフ全員が興奮していました。

──「この世界を伝えたい!」と、俄然やる気になった感じでしょうか?

ものすごく思いました。世界にはこんなにスター選手がゴロゴロいるのに、あまりにも知られていない。「これは伝えたい!」と思いましたね。

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彼らを通して「自分」を見つめる──「WHO I AM」に込めた思い

──番組を作るうえで、まず最初になにを決めたのでしょう?

タイトル決めと選手選びですね。「世界最高を伝える」ということは絶対にブレさせないと決めていたので、実績が抜群の人を選ぼう、メダルの枚数や世界記録の数から選ぼうと思いました。それから、「フィロソフィー」ですね。これについては、グラスゴーから帰ってきて、ずっと議論していました。

──フィロソフィーというと具体的には?

「なんのために、WOWOWが世界まで行って、パラリンピックを題材に、ドキュメンタリーという手法を通して、世の中に対してなにを伝える番組を作るのか」ということです。「困難を抱えた人がこんなにいて、みんな頑張っているんですよ」っていうプレゼンだって、あってもいいとは思いますが......僕らはそうじゃないと思っていた。とはいえ、最初は「超人」みたいなものをイメージしていて。でも、「なんか違うね」ってなったんです。

──「超人」ではなく、なんだったのでしょう?

もちろん選手たちは世界トップレベルなのでアスリートとしては「超人的」なんですが、実際に彼らを間近で見てみて......なんていうか、「俺よりも人生を楽しんでるな」って見えたんです。「すごくかわいそうで、特別な世界にいる人だ」って僕たちが勝手に思っていただけで、彼らはアスリートとして圧倒的な実績を築いて、人生をエンジョイしているんですよ。負けたら当然悔しがる。そういった姿を見て、「この人、俺なんかより何百倍も人生をエンジョイしてるんだろうな」って思う機会がすごく多かったんですね。だから、「超人」という表現を使うのは一切やめようと決めたんです。「超人」と言ってしまうと、「特別な世界にいる特別な人」として受け取られてしまうと思ったから。

──なるほど。

単純に「人生というフィールドで、エンジョイしているか・していないか」というものさしに替えたほうが、観る人にとっては自分ゴトになるし、彼らはそれだけの引力を持っているんじゃないか、といった議論になりましたね。

──さらに2015年10月にカタールのドーハで行なわれたIPC陸上世界選手権にも行かれたということで。

そのときは「どんどん選手たちに話を聞こう。ミックスゾーンで、注目選手や気になった選手に話をどんどん聞こう」って決めていたんですね。そうして取材していったら、先ほど言ったような「俺らよりエンジョイしてるなあ、輝いてるなあ」っていう感覚がズレていなかったと確信できて。それで、番組を観る人にも同じ体験をしてほしいなあと思ったんです。

──同じ体験とは?

「自分」について、考えてもらう番組にしよう。「この人たちはこんなに人生をエンジョイしていますが、あなたはどうですか?」ということを、映像を通じて伝えようって思って。それで、タイトルを「WHO I AM」にしたんです。直訳すると「自分」ですが......それまでは「グレイテスト・パラリンピアン」とか「超人たち」とか(笑)、いろいろ考えていましたが、全部やめて、ちょっとわかりづらいかもしれないけど意志をもって、「WHO I AM」というタイトルにしたんです。選手たちにカメラに向かって「This is WHO I AM.=これが自分だ」って言ってもらうイメージがキレイに湧いて、筋が通った気がしたんです。

──たしかに、正直なところ、タイトルからは内容が想像できないなと思いました。

確かに、「わかりにくいのでは?」っていう指摘を何度かいただきました。

──それでも番組を一度でも観たら、「WHO I AM」に成るべくして成ったんだなあと、強く伝わってきました。構成はもちろん、選手のどの部分をどれくらいスコープするのか、ビジュアルや音楽に至るまで、フィロソフィーが浸透している印象です。

ディレクターやカメラマンなど番組の制作スタッフから、ナレーションを担当いただいている西島秀俊さん、音楽を制作いただいた梁 邦彦さん、フォトグラファーの新田桂一さんなど、番組に関わるすべての方々にフィロソフィーをしっかり認識してもらうことに時間を割きましたね。プロジェクト立ち上げから我々が世界で体験して感じてきたことをそのまま伝えて、WOWOWがどういうスタンスでパラリンピックと向き合おうとしているかを理解いただくようにしました。「かわいそうな人が頑張っている話」にだけは絶対にしたくなかったので。

──これまでにないアプローチでパラリンピックの選手たちを描くというところで、制作側の意識を統一するのが難しかったでしょうね。

そうですね。選手たちが大変な経験をしたことを深掘りする番組ではない。事実として描くのはいいけれど、そのバランスですよね。「彼らがいま、どれだけエンジョイしているか」という部分に目を向けた番組にしたかった。彼らが情熱を注いでいるのは競技であり、人生だから。その辺の塩梅は、すごく苦労しました。

──たとえば国枝選手が取り上げられた回も、車いすに乗ることになったきっかけについてはサラッと触れられていて、「これは障がいの有無に関わらない番組なんだ」と実感しました。

そう言っていただけたら嬉しいです。やっぱりそこはこだわりましたからね。ですから、本当にフィロソフィーがすべてで、いまだに読み直しています。スタッフ全員の羅針盤になってくれています。

──「WHO I AM」のロゴや、全体的なビジュアルも印象的です。どんなメッセージを込めて作られたのでしょうか?

ロゴについては、かっこいいものにしたかったのはもちろん、明るくしたいという思いもありました。彼らは明るくて楽しげだから。それで、アートディレクターといろいろやりとりして、多様性や個性を表現するという意味で、光の三原色をベースにロゴを作ってもらいました。とっても気に入っています。

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──白を背景に選手たちが躍動する、新田桂一さんの写真も効果的ですね。

いろんな国の選手を撮影するので、複雑なセットを考えちゃうと、国によってはすべての備品が整わない場合も出てくるんじゃないかと思ったんです。それで白い背景さえあれば撮れてしまうようなものにしました。どこの国にも壁と紙ならあるだろうって(笑)。新田さんはファッション誌や広告の撮影を主にされていて、ライブセッションみたいな感じで撮られる方なんです。フットワークも軽いし、番組で扱うような多様性に「ものすごく興味がある」と言ってくださったのでお願いしました。「新田さんと一緒にやってはどうか?」とアイディアを出してくれたアートディレクターの川上智也さんには今でも本当に感謝していますし、常に連絡を取り合っています。

──音楽は梁邦彦さんということで。

梁さんは2014年ソチ冬季オリンピック閉幕式で、次期開催地公演の音楽監督を担当された方で、2018年平昌オリンピックの音楽監督も担当されるし、日本をはじめとしたアジア地域やヨーロッパなどで広く活動されている。それにご自身の音楽だけでなくアニメ・ゲーム・ドキュメンタリー・映画などの音楽も手掛けられていて、ボーダレスな感じが番組と合うかなと思ってご相談したら、「意義のあるプロジェクトだから、絶対やる」って即答してくださいましたね。

──カメラワークも美しいなと思ったのですが、最も重点を置いた部分はどこでしたか?

「かっこよく撮る」だけですね。CMとまではいかないかもしれませんが、その選手なり、その競技なりをちゃんと伝えるイメージカットは、知恵を絞ってやりましょうって、制作チームとは話をしていました。車いすに小型カメラをつけるくらいは誰でも思いつくけれど、それが目的じゃない。「疾走感を出すには並走した方がいいんじゃないか」とか「アーチェリーのような精神集中がキーになる競技では、近い距離からスーパースローで撮ろう」とか。水泳についてもすごくこだわって、水中映像をかっこよく撮るために、海外で専門カメラマンを呼んでもらったりとか......みんなでアイディアを出しながら作っていきましたね。フィロソフィーを共有した上で、同じ思いで汗をかいてくださったスタッフの皆さんには感謝しています。

──日本の番組っぽくない、洗練されたかっこよさを感じました。

IPCと共同で立ち上げたということもあって、世界展開というか、日本だけで放送するプロジェクトにはしたくないという思いがありました。国内でも再放送だけでなく、大学の授業や企業の研修に使わせてもらったり、イベントで上映したり、子どもたちに見せたりしているんですね。それって、実は意外とできないことなんです。

──というのは?

放送番組って、堅苦しく言うと、いろんな点で権利に制限されることが多いんです。でも、「WHO I AM」は基本的に全部クリアしている。プロジェクトの目的や意義、フィロソフィーをきちんと伝えてから制作に入るので、映像や取材選手、音楽、写真......それらを使ってあらゆる展開ができるようにしたんですよね。さらに英語版も作っていて、IPCからも発信してもらっているので、日本のドメスティックなテレビドキュメンタリーにしちゃうと、世界で通用しないんじゃないかっていうのはあって。映像のかっこよさとか......。

──初めて拝見したときに、海外の番組のローカライズ版だと思ったんです。

あー、なるほど。海外のドキュメンタリーが持つ雰囲気ではあるかもしれませんね。情報量が少なくて小難しい気もするんだけど、映像の雰囲気だけでなんだか見せきれちゃう......みたいな。日本の多くの番組って、ナレーションやテロップできちんと説明がされていて、ストーリーも緻密に構成されているんですよね。それはそれで素敵なんですが、海外の番組が持つ、「映像を見てもらって、あとは観る方の解釈に委ねて、それぞれの受け取り方があっていい」みたいな感じとの、中間くらいを狙いたいって思ったんです。もちろんいろんなご意見をいただくのでまだまだ満足はしていませんし、まだまだ先は長いですが。

"自分は彼らみたいに人生を楽しんでるだろうか?"と考えてほしかった(後編)