2018.10.29

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8回表からまさかの修正も! 『WHO I AM』の音楽が変わり続ける理由 音楽家の思い切ってはみ出す勇気とそれに呼応するプロデューサーの幸福な関係

パラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」 チーフプロデューサー太田慎也/音楽プロデューサー梁 邦彦

8回表からまさかの修正も! 『WHO I AM』の音楽が変わり続ける理由 音楽家の思い切ってはみ出す勇気とそれに呼応するプロデューサーの幸福な関係

世界最高峰のパラアスリートたちの姿を追いかけるWOWOWのパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。もちろん、パラリンピアンたちこそ同番組の主役であることは間違いないが、作品の中で時に力強く、時に繊細で優しい音楽が、彼らの下す決断や苦悩、喜びに彩りを加え、ドラマに深みを与えている。シリーズを通してメインテーマおよび劇中の音楽を担当するのは、数々のアニメや映画の音楽を担当し、さらには平昌オリンピックの開会式・閉会式の音楽監督などジャンルも国境も問わず多才な活躍を見せる音楽プロデューサーの梁 邦彦。シーズン3の放送開始を記念して、同番組のチーフプロデューサーである太田慎也との対談インタビューが実現した。

平昌五輪から東京へ――運命を感じたオファーに即答!

――まず、太田プロデューサーはなぜこのシリーズの音楽を梁さんにお願いしようと思ったのでしょうか?

太田 :WOWOWで2015年に梁さんを追いかけたドキュメンタリー「ノンフィクションW 託されたアリラン~音楽家・梁邦彦 その旋律は世界に響く」が放送されたんです。僕自身は番組には関わってなかったんですけど、番組を見て、梁さんの考えや世界観が好きになりました。

1031ryounonfictionw.jpg2015年12月放送「ノンフィクションW 託されたアリラン~音楽家・梁邦彦 その旋律は世界に響く」

世界中を飛び回って、いろんなジャンルの音楽を発信されているボーダレスな感覚を勝手に感じて、僕がシリーズを立ち上げるにあたって、そのノンフィクションWのプロデューサーを介して「梁さんに相談したいんですが」とお願いしたら、興味を持っていただきまして。

梁 ちょうどその当時は平昌オリンピックの開会式・閉会式の音楽監督就任が決まった直後で、こんなに素晴らしい作品に自分が関われるということだけでなく、平昌から東京という"流れ"に対してある種の運命を感じましたね。だから(オファーが届いて)即答でした。

――太田プロデューサーからは音楽に関して、どのような要望を?

太田 メインテーマに関しては「力強さ」とか「大地」「ブレイクボーダー」など、いくつかの単語をお伝えして、そこに喜怒哀楽を入れてほしいというお願いをしましたね。

他にも劇中の楽曲をお願いしているのですが、そこに関しては逆に梁さんから「どんな小さなことでもいいからどんどん情報をください。それにより、クリエイティブが制限されることはないので、太田さんが気になったことや思ったこと、こういうものが好きという話でもいいので、何でも言ってほしい」と。

そこでも「挫折」であったり「気高さ」「再起」といった、ドキュメンタリーで描く人間の起伏をいくつかお送りして、それに合わせた音をいただければ...とお願いしたら、十数曲を作ってくださいまして。

梁 僕自身が大切にしたのは、音楽はいわばこの番組の聴覚の"顔"となるわけで、そこでどれだけ共通分母を持てるか? "思い"を共有できるか? ということ。そこにいま、太田さんがおっしゃったいくつかのワードがあるわけです。その第一段階で、こちらが作業しやすい環境を整えていただけたのは、すごくありがたかったですね。107545_001_key_b.jpg

ひとつ印象的なことがあって、僕自身の中でパラリンピックというものへの先入観を知らずに持っていて「難しい壁を乗り越えてやり遂げる」みたいな部分にイメージが行き過ぎていたんです。でも最初に太田さんに聴いていただいて「もう少し、彼らの持つ希望や明るさ、清々しさを入れてもらえますか」と言われて「あ、そうか。わかった!」と自分の思いがスーッとこの作品と重なったんです。

太田 いや、それが作業的に、梁さんが火傷するくらいのタイミングでそれを言っちゃったんですよね(苦笑)。野球で言うと8回表くらいなんですけど、4回まで戻ってくださいと...。

梁 いやいや、そんなのはよくあることです。でもそこで「合点がいく」ってすごく大事なことで8回だろうと延長戦だろうと関係なく、軌道修正されるべきものはすべきなんです。僕自身、そこで「あぁ、そうだよな」とすごく納得できたんですよね。

――パラリンピアンを"超人"として描くのではなく、人生を謳歌しているひとりの人間として描くというのはまさに、太田さんが当初より、このシリーズを貫くフィロソフィとして大切にされてきた点ですね。

太田 そうです。最初にお伝えした"力強さ"という部分は素晴らしかったので、そこから明るさやポジティブな世界へと飛んで、またサビに戻るというのはどうですか? とお願いさせていただきました。

1031ryos1.jpg2016年10月放送のシーズン1

――完成した楽曲を最初に耳にした時はいかがでしたか?

太田 本当に震えましたね。「超カッコいい!」と。

――アスリートたちの姿や言葉はもちろん、写真、映像、編集とひとつひとつのパーツ、プロセスを大切にこのシリーズを作ってきて、そこに梁さんの音楽が加わって...。

太田 "ピース"扱いするつもりはまったくなくて、むしろ、これだけの音楽に負けちゃいけないという気持ちになりましたね。梁さんに感謝しつつ、梁さんが「この作品に参加してよかった」と思える作品にしないといけないというプレッシャー...。当時はメールのやり取りの最後にいつも「この音楽に負けないように頑張ります!」と書いてました(笑)。

「シーズンごとに見える景色が変わってくる」

――梁さんは、アスリートたちの姿を見て、刺激を受けた部分はありましたか?

梁 それは毎回ですね。むしろ、シーズン1を作り終えた後で、作品を見たことで後追いで「こういうふうにするなら、こんなやり方もできるな」と思って、そこからシーズン2につながっていったり、シーズン3でまた違ったものを作りたくなったり。

押しつけがましいんですけどね(苦笑)、頼まれていないのに勝手に楽曲を作っちゃうんですよ。「今年はこんなのもありじゃないですか?」って。

太田 びっくりしますよ、突然、メールをいただくんですから(笑)。

――シーズンごとにテーマソングのアレンジを変えられていますが、それは...。

太田 決して最初から決まっていたわけじゃないんです。最初にいただいた十数曲でシーズン1の8番組を作り上げた上で、その後、シーズン2に向けてディレクター陣との会議があり、その場で「こんな音があるといいですね」という話は出ました。そこで、梁さんにご相談して追加で2曲いただいたんです。whoiam2.png

でも、その後で「それはそうと、テーマソングもちょっと違うことをやってみたいんだよね」とおっしゃられて...。それがどんなに大変なことかは僕もわかっているんです。横浜のランドマークスタジオで、24人編成のオーケストラで収録されるんですから。ryoglobe.jpg

だから「いやいや! そこまでは...」と申し上げたんですけど、梁さんのほうから「やってみたらいいじゃん」「こっちが勝手にやることだから」「僕もシーズン2に参加したという証がほしいんだ」とおっしゃっていただきまして(笑)。それで今年のシーズン3も...。

梁 やはり、シーズンごとに見えてくる景色が変わってくるんですよ。アスリートたちも変わるわけですし。僕自身、一緒に歩んでいきたいという気持ちがありますし。あとね、こちらがすごく嬉しいのは、渡した音源の使い方のセンスがいいことなんですよね。

楽器ごとに分けた音を「好きに活用してください」とお渡ししてるんですけど、それをたとえばショートムービーのほうでうまく使ってくれたりして、こっちも見ていて「おっ! こういう使い方もあるのか」って。

太田 普通、パート別の音源をいただけるなんて思わないでしょ?(笑) 「信用してるから好きに使ってもらっていいよ」とおっしゃっていただきまして。今ではスタッフの間でも、その音源のうまい使い方を見つけたもん勝ちのゲームのようになってます(笑)。

――今回のシーズン3のアレンジの特徴、意識された部分について教えてください。

梁 これまでのシーズン1、シーズン2はある種、ドラマチックに、わかりやすく言えば、ハリウッド的な感じで「行けるところまで行ってみよう!」という部分があったと思います。

そこから、今回のシーズン3では、聴いていただく人たちの気持ちも少し変えられたらという思いで、ちょっとポップになっていますね。ギターのストロークを入れたり、体がリズムに乗って動くような感じに仕上がっていると思います。

平昌を終えて、2020年に向けて「心構え、覚悟が定まった」

――梁さんは先ほど、このシリーズのオファーを平昌オリンピックからの流れで"運命"と感じたとおっしゃっていましたが、改めて平昌から東京に向けて、音楽を通して携わってこられて、どういう経験になったと感じていますか?

梁 いろいろ鍛えられましたね(笑)。やはり、オリンピックの音楽監督ということで、いろんな面で負荷のかかる作業でもあったし、それだけの責任があったけど、終わった時にすごく晴れやかな気持ちになれたんです。

オリンピックが終わって、『WHO I AM』が目の前に現れて、自分の気持ちがパラリンピックへと向いていく感覚、そこに集中できるという感じと言いますか...。平昌が終わって、2020年まで行くんだなという心構え、覚悟が定まった気がしました。

僕は、韓国でもライブをやるんですけど、太田さんが、僕の音楽に合わせて特別に編集した映像を作ってくださるんです。デカいスクリーンでそれを流すと『WHO I AM』を知らない韓国の人たちもすごく感動してくれて、僕の中でもどんどん熱が高まっていくのを感じるんですよね。2018-10-26_18-16-56_637.jpeg

太田 僕も東京でやられたライブを見せていただいたんですけど、『WHO I AM』の演奏を聴いた時は号泣しました(笑)。

――このシリーズを通じて一緒に仕事をされてきて、梁さんから見た太田さんはどのようなプロデューサーですか?

梁 先ほど話したテーマソングに"明るさ"や"希望"を加えるというやりとりが、本当に太田さんらしいなと感じるんですよね。普段からすごく気を遣われて、チーム全体を下から持ち上げつつ、スタッフの和と深化の度合いを高めていくんですけど、一方で大事なポイントを的確に伝えてくれるので、こちらはすごく合点がいくんです。

それはすごく大事なことで、チームのメンバーひとりひとりが、太田さんの話を聞いて「よし!」と拳に力を込めて、前に進んでいけるんです。僕もライブをやるので、全体をまとめ上げる難しさはわかりますが、そこを年々、進化させられるってすごいことだと思います。ryou2shot2.jpg

――改めて、太田プロデューサーから今回のシーズン3全体の見どころ、魅力を教えていただけますか?

太田 シーズン1は「ROAD to RIO」でしたし、シーズン2は、平昌に出場した冬季競技選手は別として、夏季競技の5人の選手は、ある人は出産し、ある人はけがの治療に専念し、ある人は世界選手権が控えていて...という感じで、「それぞれのリオ翌年」という感じでした。

それが今年、8人の選手を取材してみると、みんな「TOKYO」を向いてるんですよね。2020年に向けてフォームの改善をそろそろ仕上げたり、道具のギアの改善をしたり、2年後を見据えたスケジューリングで大会に出てきたり。すっかりリオの匂いが消えて、"この街"に目が向いているのを感じました。1022whoiams3.jpg

それから、シーズン3では、ボッチャやゴールボールといった競技に取り組むパラリンピアンにもフィーチャーしていますが、正直、シーズン1の段階でボッチャの取材をする自信は僕にはなかったです。それが、いまは「やりたい」「早く見てほしい」と思えるんですよね。

はみ出す勇気とコミュニケーションで繋がる重要性

――WOWOWでは、2025年に向けたM-25の哲学として、仕事をする上での"偏愛"を掲げています。おふたりが、仕事をする上で大切にされていること、"偏愛"していることはどんなことでしょうか?

太田 コミュニケーションですね、やはり。この仕事、いろんな人が動くし、ひとりじゃ何も作れないですから。選手がいて、スタッフがいて、音楽があって、ナビゲーターを務めてくださる西島秀俊さんもおられて...。

DqEyL1BU8AAAQyE.jpgチーム「WHO I AM」での一枚

このシリーズを始める時、新しい世界に飛び込む感覚がすごく大きかったんですよ。怖かったし、知らない世界で、障害のある人たちと向き合うって、当時は特異なことだと思っていたので。今はまったくそんなこと思わないし、素晴らしいアスリートと知り合えるって何て素敵な仕事だって思いますが。

つまり、僕らがそう思うに至る経験があったわけです。何度も世界大会に赴き、選手と話す中で価値観を変えられました。それをつぶさに全体にシェアしていかないといけないし、血が通った状態にするには、メールや書面だけじゃダメなんです。

――直接、話をして思いや哲学を共有することが重要?


太田 僕は多分、制作陣から「ミーティングしたら1時間じゃ終わんないプロデューサー」って思われてるはずです(笑)。90分くらい平気でしゃべっちゃうんで。でも、その言葉尻やニュアンス、姿勢が大事だと思ってます。

「黙って言うこと聞いて」というプロデュースワークがあってもいいけど、僕はそうじゃないんです、絶対に。みんなとできるだけ脳内にあることを共有して、意見聞いて...というのを続けたい。社内ではいつも「席にいない」「会社にいない」っていつも言われるけど、いろんな人と話してます。ryouoota.jpg

梁 僕は、このプロジェクトに関して言うと、音楽というひとつのパーツ、歯車を任されたけど、上に太田さんのような人がいるからこそ、それこそ安心して"偏愛"できるんだなと思います。

どんどん飛び出して、はみ出したことをしていかないといけないと思うし、それは自分でコンサートをやるときとは絶対的に違う感覚ですね。『WHO I AM』という作品のパーツのひとつとしてどう思い切ってはみ出せるか? 意図的に愛情を持ってはみ出すことを大事にしています。2018-10-26_18-17-02_468.jpeg

――太田さんという全体をまとめるプロデューサーがいるからこそ、思い切ってはみ出したことができるんですね。

太田 "上"じゃなく、強いて言うなら真ん中ですかね(笑)。

梁 チームがあって、作品があって、その中心に太田さんがいるから、それぞれが四方に飛び散って、面白いものができるんですね。

太田 "はみ出す"と言っても、おいおい、やり過ぎだろ! というディレクターもいるけど(笑)、やはりボールを置きに来たら「それじゃつまんないよ」「去年と同じことやってるじゃん」ってなりますからね。

でも、やっぱりみんな、僕の想像の斜め上を行ってくれるんです。だから安心してお任せして、あとはある程度、シリーズとして統一感を持たせてまとめるのが僕の仕事であり、それぞれの飛び出しをどこまでうまく整理できるか? というのが僕の務めですね。

さっきも言いましたけど、梁さんほどの素晴らしい方にこれだけのことをやっていただくからには「顔に泥塗るわけにはいかないぞ」とすごいプレッシャーですよ!

梁 そうやって、お互いをほめ合いながら、プレッシャーを掛け合ってるんですよね(笑)。ryou2shot.jpg

取材・文/黒豆直樹  撮影/祭貴義道  制作/iD inc.


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梁邦彦さんは10月16日に有楽町朝日ホールにて開催された「第4回WHO I AMフォーラム」に登壇。イベント内で「WHO I AM」テーマ曲をソロピアノ演奏、さらに番組に出演する"車いすバスケの神様"パトリック・アンダーソン選手(カナダ)とセッションライブを行うなど、素晴らしい演奏を観客に披露してくれました。
イベントの模様はこちらを確認

梁 邦彦(りょう・くにひこ)
1996 年にアルバム「The Gate Of Dreams」をリリースしソロデビュー。その後、ロンドンシンフォニーオーケストラ、ロンドンフィルハーモニーなど、世界有数のオーケストラとともに8 枚の正規アルバムをリリースしライブ活動を展開。一方で、日韓で映画・アニメーション・ドキュメンタリー・CF・ドラマ・オンラインゲームなどの劇伴音楽制作およびOST アルバムを数多くリリース。2014 年ソチ冬季オリンピック閉幕式の次期開催地公演の音楽監督・作曲演奏、2015 年パリユネスコ本部でのユネスコ70 周年総会オープニングセレモニーにおいて作曲演奏、2018 年平昌オリンピック開会式・閉会式の音楽監督を務める
など、その活動は多岐にわたる。パラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」
ではシーズン1より、オリジナルテーマをはじめオリジナル劇伴音楽制作を務める。

制作局制作部 太田 慎也
2001年WOWOW入社。営業、マーケティング部門を経て、2005年に編成部に異動し、テニス、サッカー、ボクシングなど、海外スポーツコンテンツの調達、編成、中継に携わる。2008年、WOWOWオリジナルドキュメンタリー「ノンフィクションW」の立ち上げを担当。自身もドキュメンタリー番組のプロデューサーを務め、2013年、「ノンフィクションW 映画で国境を越える日」で日本放送文化大賞グランプリを受賞。2015年より、IPC&WOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」のチーフプロデューサーを務める。2017年、2018年には、「WHO I AM」が日本民間放送連盟賞 特別表彰部門 青少年向け番組の優秀を2年連続受賞。2018年には「WHO I AM」でABU(アジア太平洋放送連合)賞受賞。同作のシーズン2は、国際エミー賞ドキュメンタリー部門にもノミネートされている。(2018年10月現在)