ユーザーの心臓の鼓動が物語に明かりを灯す新たなVR映画『Beat』でヴェネチア国際映画祭に殴り込み! WOWOWがVRコンテンツ制作に乗り出すワケ (前編)
監督:伊東ケイスケ、プロデューサー:待場勝利、アシスタントプロデューサー:大橋哲也、WOWOW 技術企画部:藤岡寛子
世界三大映画祭の一つに数えられるヴェネチア国際映画祭。そんな歴史と権威ある映画祭の主要コンペティションの一つとして「VR部門」があることをご存じだろうか?
9月に開催された2020年の映画祭では、黒沢清監督の『スパイの妻』が銀獅子賞(監督賞)を受賞したことが大きな話題となったが、「VR部門」のコンペティション部門にも、日本からある作品が出品されていた。
その作品の名は『Beat』。WOWOWが株式会社CinemaLeapと共同製作したこちらの作品の最大の特徴は、VR技術と"ハプティクス"と呼ばれる触覚技術を掛け合わせて作られたという点。ユーザーが、自身の心臓の鼓動を主人公のロボットと共有し、物語に命を吹き込むという、これまでにないVR作品となっている。
この『Beat』の伊東ケイスケ監督、プロデューサーを務めた待場勝利(Supership株式会社VR戦略企画室)、アシスタントプロデューサーの大橋哲也(株式会社CinemaLeap代表取締役)、そしてWOWOWから本作にエグゼクティブプロデューサーとして参加した藤岡寛子(技術企画部)が本作の制作の経緯から、VRコンテンツの将来についてまで熱く語る!
「飽きられない」コンテンツを! VR×インタラクティブ技術でより深い没入感を生む
――まずは今回の『Beat』という作品がこのチームで制作されることになった経緯について教えてください。
藤岡:もともとWOWOWでVRをやろうと考えて、番組プロモーションとして取り組んではいたのですが、プロモーションという形では、あまり面白いものができないなと感じまして、2018年頃から、VR単体で商品化し、コンテンツとしてモノになる作品を作りたいなと思ったんです。そこで、既にストーリーのあるVR作品を作られていた待場さんにご相談しました。
(藤岡寛子)
当時、私がいたのはICTイノベーション部という部署だったので、何かしらICT(情報通信技術)も組み合わせたいと思い、VRにインタラクティブなICTの要素を加えることでより没入感のあるコンテンツができるんじゃないかとインタラクティブ技術をいくつか探してみました。
そうして待場さんから「VRをやるなら(監督は)伊東さんで」とご紹介をいただき、アイトラッキング(※視線の動きを追跡する技術)やにおいを使う技術など、さまざまな技術に触れる中で、伊東さんからも「これでやってみたい」とおっしゃっていただいたのが、今回のハプティクスによる心臓デバイスでした。
当時、いただいた企画が社内でなかなか通らなかったという事情もあり、私自身がプロジェクトから外れていた時期もあったのですが、待場さんと伊東さんはずっと企画を温めてくださっていて、今年の年明けくらいに「こういう企画でどうでしょう?」というお話をいただき、社内でも「これであれば今ならいけるんじゃないか」ということで、プロジェクトが進み始めました。
既に伊東さん、待場さん、大橋さんは前作『Feather』を3人で作られていたので、(大橋さんが創業したVR映画などの制作・配給を行なう)CinemaLeapさんと共同で製作させていただくことになりました。
心臓ハプティクスが現実とバーチャル空間の新たなバイパスに!
――ハプティクスという技術自体、一般の方にはまだまだなじみがないかと思いますが、触覚を再現する技術ということですね?
(待場勝利)
待場:バーチャル空間の中で、実際にモノに触れなくとも、持ったり触っている感覚を伝わらせる技術ですね。一言でハプティクスと言ってもいろいろな方法がありまして、例えば、カーペットを触れたときの感触をどう手のひらに伝えるか? アメリカのある技術者が考えたもので、針金がたくさん突き出ていて、その表面を触ると、針金が動いて、あたかも触っているかのような感覚に陥るというものもありましたし、藤岡さんと一緒に見に行った技術では、電気信号で触覚を再現しようとするものもありました。
藤岡:触覚のインターフェイス技術の総称として"ハプティクス"という言葉があるので、「これがハプティクス」と説明できるものではありませんが、例えば、デジタル空間で鳥が飛んできて指先に止まるというのを再現しようとするものなどもありました。
ただ、触覚というのは、実際にモノが触れている部分だけで感じているわけではなく、神経が脳にもつながっていて、知覚するので、指先だけでなく腕にもチクチクと刺激があったりしました。そういう点では、ハプティクスの技術をデジタル空間で使うというのは、まだ"違和感"のある使い方しかできないなという感じでした。
そのため、最初は、ページをめくる感触だったり、モノを押したりする感覚を再現できたら面白いねという話をしていたんですが、まだそこまでは難しいというのもありました。ただ、今回の心臓デバイスは、手で心臓を持って鼓動を感じるということで、人間の触覚として違和感がなかったんですね。
待場:いろんなハプティクス技術を見ていく中で、今回の心臓ハプティクスを持った時、自分の体の中にある心臓を手の上で"持てる"という感覚が衝撃的で、伊東くんと「これがいちばん、作品になるんじゃないか」という話をして、これを使ってみようということになりました。
伊東:最近のゲームのコントローラーは、ゲームの内容に合わせて振動しますが、あれもいわゆるハプティクス技術であり、僕らが今回作品で使用しているのは、もっとすごい新しいハプティクスなんですね。今までにない、新しいハプティクスコントローラーとイメージしていただければと思います。
待場:心臓ハプティクス自体は、大阪芸術大学の安藤英由樹先生が開発されたもので、これを使用してワークショップをされていたんですが、映像と組み合わせて使用するというのは、今回が初だと思います。
藤岡:見学に行った時にたまたま「こんなものもあるよ」と見せていただいたのが心臓ハプティクスだったんですよね(笑)。ストーリーもこのデバイスとの出会いをきっかけに作っていった感じで。
――伊東監督、待場さん、大橋さんは、前作の『Feather』でもご一緒されており、同作は第76回ヴェネチア国際映画祭で、VR部門では日本映画初のビエンナーレカレッジセレクションとしてプレミア上映されていますね。この作品を作ることになった経緯は?
待場:もともと、伊東くんは3DCGアニメーションのクリエイターとして活動していて、私はVRの作品をいろんな監督と作っていて、大橋さんは「ショートショート フィルムフェスティバル&アジア」(※俳優の別所哲也が創設した、アジア最大規模のショートフィルムの祭典)の運営などをやっていました。
僕と伊東くんは「ショートショート~」のイベントで出会いまして、「今度、VRで作品を作りたいね」という話をしていたんですが、ちょうどヴェネチアで作品の企画募集があり、企画が通ったら現地で10日間ほどのワークショップを受けられ、VR作品化できるというプロジェクトがあって、伊東くんに「やってみない?」と声を掛けたんです。
既にその時、彼の中には温めていた企画があって、それが非常に面白くて、ヴェネチアに送ってみたところ、無事に通ったんですね。全部で12チームが選ばれたんですが、おそらく、このワークショップにアジアのチームが参加すること自体が初めてだったのではないかと思います。そこでわれわれ3人でヴェネチアに行き、ワークショップを受けて、業界の人たちとディスカッションを交わしつつ、作品として出来上がったのが『Feather』で、正式にヴェネチア国際映画祭の招待を受けて、現地でプレミア上映されました。
そのころから、『Feather』で終わらせずに次の作品を作って、またヴェネチアに持って行こうという話をしていた中で、今回の『Beat』という作品の小さな"種"は生まれていたんですね。そんなタイミングでちょうどWOWOWの藤岡さんともお話をする機会があって、あらためて、ハプティクス企画として再度お話したところ、ぜひ一緒にやりましょう、という話になりました。
――『Beat』では、VRの体験者の心臓の鼓動によって命を吹き込まれたマルボロが、もうひとりのロボット、カクボロと友情を紡いでいくという物語が展開しますが、このストーリーは、心臓デバイスとの出会いをきっかけに、伊東監督が考えられたんですね?
(伊東ケイスケ)
伊東:そうです。現実とバーチャル空間をつなぐものっていろいろあって、通常のVRであれば視覚を通してつながるんですが、この心臓ハプティクスのデバイスによってつながることで、現実の世界とバーチャル空間の間に新しい"バイパス"が通じるということなんですね。
僕は普段から、バーチャル空間と現実をどうつなげたら面白いか? ということを考えているんですが、このデバイスを見て、心臓でつながるって面白いなとビビッときました。
「自分の心臓の鼓動によって見るアニメーション」であって、それがなければ見ることができない――聴診器を外すと真っ暗になってしまい、また聴診器をつけると見ることができる。それだけでなく、「心臓」を手に持つことで「心と心でつながる」というコンセプトを表現し、実際のキャラクターとストーリーによって、その複雑さや大切さを描ければと考えました。
実質制作期間はわずか3カ月&作業スタッフはほぼ伊東監督ひとり!?
――具体的な制作のプロセスについて、詳しくうかがってまいりますが、先ほど、藤岡さんのお話で、「年明けからプロジェクトが動き始めた」とありましたが...。
伊東:そうですね、僕がほぼひとりで作ったんですが(笑)。今回は時間が少なかったということもあって、絵コンテやVコン(=ビデオコンテ)をすっ飛ばして作りました。僕の作り方がちょっと独特なのかもしれませんが、頭の中ですべてのアニメーションを描いた上で、それをソフト上に描いていくというやり方なんですね。
頭の中でのイメージができたら、キャラクターをスケッチし、それをモデリングして、そこに骨を入れて動かしていきます。加えて、インタラクティブな動きに関しても、「触ったらこういう動きをする」「心臓を近づけるとこうなる」といったプログラミングを組んでいきます。
今回、いちばん大変だったのが、(体験者の)心臓の鼓動と、(VRの中での)心臓の光り方、振動を同期させるという部分で、そこに関しては外部のプロの方にプログラミングしていただきました。
そんな流れで作り上げていった感じですね。
――今おっしゃったプログラミングの外部スタッフ以外は、基本的に伊東監督おひとりで...!? 実質的な制作期間は?
伊東:音楽はピアニストの森下唯さんにお願いしていますが、それ以外は基本的に僕ひとりです。もともと、アニメーションで5分ほどのショートフィルムを作っていたんですけど、VRはそれに加えてプログラミングという感じになります。そこに関しては2年ほど前から勉強していて、もともとひとりで作っていたのでその延長という感じです。制作期間は、ストーリーの企画が固まるのに半年ほどかかりましたが、実制作は3カ月ですね。
藤岡:非常にイレギュラーだと思います(苦笑)。海外でもチームを組んで制作しているところが多いですけど、伊東監督はおひとりでできてしまうので、やっちゃったという感じで...。
伊東:僕もスタジオにいた時期があるんですが、そうした場合に必要になる意思決定などの確認作業が、僕ひとりで作るなら一切ないので、逆にひとりだったからこそこれくらいの期間でもギリギリできたのかなと思います。
映画スクリーンというフレームに続く、新たな映像表現としてのVRの可能性
――大橋さん、待場さん、藤岡さんにも、このプロジェクトにおけるご自身の役割についてお聞かせいただければと思います。
大橋:前作の『Feather』の時は、企画段階から物語を練る作業を一緒にやってきましたが、加えて私は、映画が完成した後に映画祭に出品したり、配給するというところを担当しています。
(大橋哲也)
――もともと「ショートショート フィルムフェスティバル&アジア」の運営に携わられていた大橋さんが、どういう経緯でVR映画の制作・配給をされるようになったのでしょうか?
大橋:2016年が「VR元年」といわれていますが、「ショートショート~」でも「VR部門」を立ち上げられないか? と考えていました。そのころ、待場さんとも出会って、それから2年ほどの時間をかけて「VR部門」を創設しました。
いろんなVR作品を見る中で、あらためて「すごい世界があるんだな」と感じました。2019年に独立して会社(株式会社CinemaLeap)を立ち上げたんですが、ちょうどそのタイミングで待場さんから「ヴェネチアに行くんだけど、一緒に行かない?」と声を掛けていただいたことから、この道に入っていくことになりました。
VR映画の世界ってまだまだ狭いということもあって、『Feather』を通じて配給や映画祭への出品などの仕事を一から覚えていくことができたのが、非常に大きかったと思います。
――ヴェネチア国際映画祭にVR部門が新設されたのが2017年で、「ショートショート~」でも翌2018年には同部門が設立されていますね?
大橋:そうですね。先ほども言いましたが、2016年くらいから何かできないかとイベントなどをやっていて、2018年に部門として新設しました。
VRってショートフィルムとの親和性が非常に高いので、映画祭で何か新しいことができないか? と考えたときにそこに目をつけて取り入れました。待場さんは、非常に早い段階でVRに着目して、その当時ですでに何十本もの作品を手掛けられていたので、いろいろと教えていただきました。
――待場さんは、アメリカで映像制作について学ばれて、その後、20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパンで日本語版のプロデューサーを務められていたと伺いました。そこからVRの世界に足を踏み入れることになったきっかけは?
待場:フォックスで仕事をさせていただく中で、スクリーンというフレームでの映像表現に限界を感じたところがありまして、その後、サムスン電子ジャパンで、「Gear VR」という日本で初めて販売されたVRデバイスに携わりました。そこで初めてVRを体験したんですが、そこで衝撃を受けまして、これが(劇場映画などの)フレームの作品に続く、"次"の映像の形になるのではないかと強く感じました。
当時、VRというと、ゲームとコミュニケーションがメインで、映画の制作やストーリーテリングということはほとんど行なわれていなかったんです。私自身、それまで映画・映像制作に関わってきた人間ですので、これ(VR)で作品を作ってみたいという想いで始めました。
――『Feather』および今回の『Beat』制作における、待場さんのお仕事についてお聞かせください。
待場:伊東くんは僕がいなくても勝手に作品を作っていたとは思いますが(笑)、とはいえ、ひとりで作品を完成させたとしても、それをスケール(=拡大)していけるか? という問題はあるんですね。
ひとりで作っているクリエイターさんはたくさんいますが、彼らをどうサポートするか? そう考えたときに、大橋さんやWOWOWさんの協力をお願いすることで、プロジェクトを少しずつ大きくしていくことができるかなと思いまして、まあ僕の役割は「応援」しているだけなんですけど(笑)。
その中で特に「VR作品におけるストーリーテリングに何が必要か?」――。伊東くんがVR作品の制作を始める段階や、大橋さんがVRの世界に入ってこられる段階で、僕自身がこれまで見てきたこと、経験してきたことをお話しすることで、イメージを膨らませることができたのかなと思います。
市場と裾野の拡大の重要性! WOWOWだからこそ可能なVRコンテンツへの寄与
――藤岡さんには、今回の『Beat』における、WOWOWの役割、またWOWOWにとっての、本作に協力することによるメリットについてもお話しいただければと思います。
藤岡:VRをより世の中に広めていきたいと思っていますし、今後、さらに面白いコンテンツになっていくと思っていますが、その中でやはり、クリエイターの皆さんがVRを制作していける環境をきちんと作りたいというのがあって、WOWOWとしてそのための支援ができればというのがまず一つ役割としてありました。
今後については、VRコンテンツをどう収益化していくか? というのも課題としてあります。通常の映画であれば、最初に「これだけ収益を上げることができるので、この作品に投資を」という流れになるのですが、VRに関しては、これからどうやってコンテンツをお客様に届けて、収益につなげていくか? という流れを構築していかなくてはいけません。今後、待場さん、大橋さんと一緒にそうした部分を考えていければと思います。
また、WOWOWにとっては、これからVRがどうなっていくのか? それをどう活用できるのか?など、まだ見えてない部分も大きいですが、先ほど待場さんもおっしゃったように、スクリーンというフレームの限界がある中で、新しい映像体験を生み出していかなくてはならないという想いがあります。今回のように、知見のあるみなさんとご一緒することで、そうしたノウハウを蓄積することができればと考えています。
WOWOW Labサイト: https://corporate.wowow.co.jp/wowowlab/
インタビュー/黒豆直樹 撮影/祭貴義道
(続きは後編へ)