2021.06.08

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「UEFA EURO 2020 ™ サッカー欧州選手権」いよいよ開幕! アナウンサー・柄沢晃弘が語るEUROの魅力と興奮

WOWOWアナウンサー 柄沢晃弘

「UEFA EURO 2020 ™ サッカー欧州選手権」いよいよ開幕! アナウンサー・柄沢晃弘が語るEUROの魅力と興奮

「僕ね、持ってるんですよ」――。そう笑うのは、WOWOWで約30年にわたってサッカーを中心にスポーツ中継に携わってきたアナウンサーの柄沢晃弘である。その言葉に偽りはない。古くはテニスの伊達公子の4大大会ベスト4進出、中田英寿のセリエAデビュー戦における衝撃の2ゴール、メッシのリーガ初ゴール、クリスティアーノ・ロナウド率いるポルトガルのEURO初戴冠など、これまでWOWOWが中継してきた数々の歴史的瞬間に立ち会い、自らの言葉でその模様を伝えてきた。おまけにサッカー中継絡みで2度にわたって爆弾テロの現場に遭遇することになったという、奇妙な運(?)の持ち主である。

そんな柄沢にとって、実況担当は7度目となる「UEFA EURO 2020™ サッカー欧州選手権」が新型コロナウイルスによる1年の延期を経て、ついに6月11日に開幕する。今回、WOWOW FEATURES!では柄沢のロングインタビューを敢行! 今やWOWOWサッカー中継の名物アナとなった男はいかにしてサッカーに取りつかれたのか? 先述の爆弾テロ遭遇のエピソードや忘れられない過去のEURO名勝負、そして今大会の見どころまでたっぷりと語ってもらった。

アナウンサー人生の原点は小学生のときに見た札幌五輪"日の丸飛行隊"

――まずはWOWOWに入社することになった経緯を教えてください。

僕はTBSでアナウンサーをしてたんですが、30歳になる直前にひとつ"燃え尽きた"というか"やりきった"といいますか...。スポーツを主戦場にひと通りのことをやらせてもらっていましたが、28歳のときに「ザ・ベストテン」という歌番組の司会を黒柳徹子、渡辺正行さんと一緒に1年ほど担当したんですね。

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そうやってスポーツ以外のことをやった上で、再びスポーツを担当しようとするとなったとき、自分の中で区切りがついたような感じになり、「30歳の誕生日を機に辞めよう!」と思いました。アメリカで英語を勉強しながらメジャーリーグとかいろんなスポーツを見て過ごそうと思っていたら、ちょうどそれがWOWOWの開局の時期と重なったんですね。WOWOWがアナウンサーを募集しているということで「TBSを辞めるなら来ないか?」というお話を人づてに頂きまして。でもそのときは「長い夏休みが欲しい」「充電したい」ということでお断わりして、予定通り30歳でTBSを退職して、アメリカのマイアミに行ったんです。マイアミなら西海岸ほど日本人は多くないし、野球もNBAもNFLもあったので。

マイアミで英語の勉強をするふりをしながら(笑)、野球を見たり、アメフトを見たりしてたんですが、WOWOWが本格的に始動して「アナウンサーが足りない」「いつ戻ってくるんだ?」というお話がアメリカまで伝わってきまして。そこまで言っていただけてうれしさもありましたし、新しいことに関わるのはきっと面白いだろうという想いもありました。それで当初の1年の予定を半年で切り上げて帰国して、最初はフリーで仕事をさせてもらい、切りのいいところで正式に社員として採用されました。

――アナウンサーという仕事に子どものころから憧れをお持ちだったそうですね?

小学生のとき、1972年に札幌オリンピックがありまして、70メートル級スキージャンプで日本人が金銀銅のメダルを独占して"日の丸飛行隊"と呼ばれたんですが、その試合の模様を当時の学校の先生が授業を中断してテレビで見せてくれたんです。そのとき「スポーツの中継ってすごいなぁ」という想いを抱きました。スポーツアナウンサーになろうと思ったのは、あの体験がきっかけになっていると思います。

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中学、高校で放送委員会に入って、高校生の頃には明確にアナウンサーになると決めていました。スポーツ中継と、当時はラジオパーソナリティーにも興味がありました。具体的には、TBSならテレビもラジオもあるから最高だけど、それが難しいなら文化放送やニッポン放送のラジオで野球中継やラジオパーソナリティーができたらいいなと思っていました。

大学で放送研究会に入って当然のようにアナウンサーになるつもりでいましたが、アナウンサーの倍率は数千倍ともいわれていました。大学で放送研究会にいると、手広くいろんな大学の人たちとも付き合いが生まれるんですが、そうすると一つ上、二つ上の学年の人たちがアナウンサーや記者になったという話が聞こえてくるんです。だから、頑張ればそういう人たちと同じ土俵で戦える可能性はあるなと思えたんですよね。「数千人に一人」という感覚ではなく、アナウンサーになることがごく身近なところにあったんです。

――そうしてTBSにアナウンサーとして入社し、スポーツを主戦場にしつつ手広くさまざまなことを担当された上で、有料の衛星放送であるWOWOWに移られました。同じアナウンサーという仕事でも変化はありましたか?

ありましたね。TBS時代はスポーツ中継に携わりつつ、器用貧乏なのでいろんなことをやっていました。週1か隔週で報道の泊まりの勤務があり、夕方に出社して、20時55分から21時の間に短いニュースがあって、それを読むのが最初の仕事でした。余談ですが、僕は月曜泊まりが多くて「水戸黄門」「大岡越前」の後にニュースを読んでいたんですが、当時のTBSのニュースの中で、その時間が一番視聴率が高かったんですよ(笑)。皆さん「水戸黄門」の後、そのまま見るので。

それが終わると今度はラジオで、岸谷五朗さんや恵俊彰さんがパーソナリティーを務めていた番組内でニュースを読んでいました。それからまた深夜にニュースを読んで、その後、特に忙しくなければ仮眠室で3時間くらい寝て、今度は朝の5時、6時のラジオのニュースを読んで、午前10時まで社に残り、日勤の人に引き継ぎをして帰るという感じなんですね。

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今振り返ると、貴重な経験をさせてもらったと思うんですが、当時は大変だなと思っていました。ニュースを専門でやっていて、その経験がキャスター、報道記者として生きるならいいと思うんですが、僕の場合はそうじゃなかったので。

WOWOWに来たら、そうした仕事がないんですよね。スポーツではないちょっとしたナレーション録りであったりMCの仕事はありますが、それはエンターテインメントの仕事なので、自分で興味もあるし楽しいんですよ。そこはTBS時代とは大きく違う部分ですね。

WOWOWは開局当時、小林克也さんがMCを担当する「WOWOW TODAY」という自社制作の情報番組を月曜から金曜まで放送してたんです。克也さんが夏休みを取るときなど、ピンチヒッターで担当させて頂くことがあったんですが、それもWOWOWに来て、スポーツ以外のことをやらせてもらった中で、すごく楽しかった経験ですね。

とはいえ、基本的にWOWOWに入社してからは、サッカー、テニス、初期のころはモータースポーツなどスポーツ中継を中心に仕事をしています。

「好きな趣味を仕事にしている」ことの圧倒的な強み!

――スポーツ中継を担当する上で、どういった準備をして実況に臨まれるんでしょうか?

例えばサッカーであれば、自分が担当するゲームのチームの一つ前の試合のチェックは必ずします。でもそれは勉強のためというより、趣味・楽しみとして見ている部分が大きいんですよね。好きだからこそちっとも苦にならないんです。

準備としては、前の試合を見て、スタッフが用意してくれるデータ、自分自身で積み重ねてきた資料をチェックし、中継が終わった後に、復習として「今日はこういうフォーメーションで、途中でこういうふうに変えた」といったことを自分の資料ノートに書き込んで、その試合の仕事を終えるようにしています。

210608EURO_note3.PNG資料ノート

そうすると、また同じチームを担当する際にノートを見返して「あぁ、そういえばこのとき、途中でフォーメーションを変更したんだ!」といったことを確認できるんですね。そうやって、復習の部分まで完結させて、一段落するという流れですね。また必要であれば以前の試合を見返すということもしています。

――"趣味を仕事にしている"というお話が出ましたが、サッカーに関してはもともと大好きだったんですか? それとも仕事で担当するようになって、熱狂的なサッカーファンになったんでしょうか?

実は仕事で担当するようになってからですね(笑)。昔は、サッカー自体がメジャーではなかったので、スポーツ全般が好きではあったんですが、圧倒的に触れる機会が多かったのは野球でしたし、それ以外ではTBS時代に担当する機会があったアイスホッケーやバレーボールとか...。サッカーは高校選手権や天皇杯の決勝など、大きな試合を見に行く機会はありましたし一時期、TBSでスポーツ番組のキャスターをしていたので、(Jリーグ発足以前の)日本リーグの試合に足を運ぶ機会もありましたが、じゃあサッカーがそこまで好きだったかと言われると、当時はそこまででもなくて...(苦笑)。

WOWOWに来て、スポーツを担当することになったんですが、当時のWOWOWが放送していたのがボクシングやリングスといった格闘技、二輪のロードレース世界選手権(現在のMotoGP)、テニス、サッカーで、どれも僕はそれまでにほとんど専門的に担当したことのない競技ばかりで、一から勉強して手探りで始めました。

カズのセリエA挑戦が日本のサッカー中継を変えた?

――1993年にJリーグが開幕して日本でサッカーがメジャーになり、徐々に日本でもイタリアのセリエAなど海外リーグの人気が高まっていった時期ですね。

そうです。当時は「セリエA? なんで日本でイタリアのリーグを放送するの?」という感じでした。ただ1994年にカズ(三浦知良)がジェノアに移籍して、日本でのセリエAの人気・知名度が急激に上がったんですね。

210608_kazu_GettyImages-1249729482.jpg三浦知良(1993年)/ Getty Images


カズのセリエA挑戦はWOWOWのサッカー中継にとっても一つのターニングポイントでした。"オフチューブ"といって、試合会場に行かず、スタジオで試合の映像を見ながら実況を行なうやり方があるんですが、サッカーに関してはオフチューブでの生中継は難しいとされていました。というのもサッカーの場合、カメラが捉えていない場所にボールが行ってしまったり、画面の外から選手が突然、入ってくるということが起こるからでしょうね。フィールド全体を見渡せる場所にいないと生中継はできないという考えで、当時はオフチューブによるサッカーの生中継というのはなかったんです。

では、どうやっていたかというと"ディレイ"という方法で、録画された試合の素材を事前に実況と解説者が見て、どのあたりでゴールが入るか? どういう連携を得意としているか? などの予習をした上で、既に終わった試合に対してコメントをつけるというやり方をしていたんです。

WOWOWも初期のセリエAの試合の中継は、日曜日に行なわれた試合を金曜日に放送していたんです。今から考えると悠長な時代で、日曜の試合の素材を飛行機で運んで通関して、PAL方式(※放送の規格)の素材をNTSC方式(※日本で使われる規格)に変換して、VHSのテープに落として、それを実況アナ、解説者のところに送って、それを見た上で金曜日の昼に収録して夜に放送するというのんびりした流れでした。ミラノダービー(ACミランvsインテル)など、年に数回、特別な試合だけを現地に赴いて生中継してたんですね。

ところが、カズがイタリアに行くとなったら、そんな悠長なやり方はしてられないということで、オフチューブで生中継をすることになったんですね。つまりカズが日本のサッカー中継を変えたんです。WOWOWがそうしたことで、地上波も遅れてオフチューブの生中継を行なうようになったんです。フジテレビや日本テレビのアナウンサーから「WOWOWがやるようになったから、うちもやらざるを得なくなったじゃないか」って言われましたよ(笑)。

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その後、1998年のフランスワールドカップの後に中田英寿がペルージャに移籍し、ユベントスとのデビュー戦でいきなり2得点して、そのときも中田目当てでWOWOWの加入者は一気に増えました。

――柄沢さんは、中田選手のセリエAデビュー戦も実況されるなど、様々な歴史的な瞬間を当事者として目撃されてきたんですよね?

そうですね。僕、そういう巡り合わせを持ってるんですよ(笑)。テニスの担当を始めたら、すぐに伊達公子が1994年の全豪オープンテニスでベスト4に進出したし、二輪の世界選手権の中継を始めたら、原田哲也が250㏄で世界チャンピオンになって、その後も次々と日本人ライダーが活躍するようになった。セリエAの担当になったら、カズがイタリアに渡って、その数年後にはヒデ(中田)もイタリアに行って大活躍するし、リーガではメッシのバルセロナでの初ゴールも実況しています。僕自身、覚えてないんですけど「皆さん、このゴールをよく覚えておいてください。これが伝説の始まりになるかもしれません」って言ったらしいんです(笑)。そういう歴史的な瞬間を一番近いところで見せてもらえたのは、本当に幸せな経験ですね。

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ラ リーガ04-05シーズンのバルセロナ優勝決定試合を現地中継した際メッシと。メッシは、初ゴール後ほどないころ。

「大げさ過ぎず、でもストレートに感動を伝えたい」 
ベースにあるのはアスリート、競技へのリスペクト

――とくにWOWOWでサッカーの実況を行なう上で、大切にしていることはどういったことですか?

さっきもお話ししましたが、「これは面白いことなんだ」「すごいことなんだ」という感動や驚き、喜びを大げさにはならないように、でもストレートに出していきたいと思っています。ベースにある競技やアスリートに対するリスペクトは絶対に忘れずに「こんなすごいことをしているんだ!」というのを表に出していきたいなと。

WOWOWでわざわざお金を払ってまでサッカーを見ている人は、サッカーに詳しい人がほとんどなので、変に頭でっかちなことを言うのではなく、ストレートに伝えていこうと考えてますね。僕らよりも詳しい人も多いですし、特に今は、ネットを介してファンの方が僕らと同じ早さで情報を入手することも可能ですから。もちろん、日本人選手が出る試合やEUROやチャンピオンズリーグの決勝などのビッグマッチの場合、そこまでサッカーに詳しくない人も見ていると思うので、普段よりは多少、いろいろな説明などを入れることは意識します。

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――北澤豪さん、宮澤ミシェルさん、安永聡太郎さん、関塚隆さんなどさまざまな解説者の方がいらっしゃいますが、タイプによって話の引き出し方や実況の仕方を変えることもあるんでしょうか?

それはもちろんです。解説の方が得意分野で語れるように意識しています。ミシェルさんであればディフェンスに関して多めに話を振りますし、安永さんや野口幸司さんであれば戦術面に多めに時間を割くようにします。話を「振る」というより、解説の方が話をしたときにそれをさらに深掘りする、「それはこういうことですか?」と二度聞きして話を広げるようにしていますね。

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UEFA EURO 2016™フランス大会 実況解説陣 ヴァイッド・ハリルホジッチ氏(左)と野口幸司氏(右)

視聴者にとっても「この人が解説ならばこういう話を聞きたい」というのがあると思うので、そこは大切にしています。例えば説明の途中でシュートを打って話が中断したとしたら、場合によっては「先ほどのお話ですが...」と試合の流れを無視して戻すこともあります。

とはいえ、僕が会話の「ハンドリングをする」というよりは、流れの中で、その話が花開くようにアシストをするという感覚です。実況中継において、ゴールを決めるのはアナウンサーではなく解説者であると思いますし、そのために良い"パス"を供給することを意識しています。長く一緒に組んでいれば、その人がどんなことを話したいのかも分かってくるので、アイコンタクトで話を促すこともあるし、逆にこちらを見てないときに手でジェスチャーで「ここ深く掘り下げて!」と合図を送ることもあります。個性に合わせたコンビネーションは意識していますね。

まるで映画? 田嶋幸三(現日本サッカー協会会長)と一緒に巻き込まれたイギリス爆弾テロ!

――ここから、今回の本題であるEUROについてお伺いしていきます! 柄沢さん自身、1996年のイングランド大会から実況を担当されていますが、それ以前はEUROという大会に関して、どのような印象をお持ちでしたか?

ワールドカップという最大規模の大会がある中で、EUROは"ヨーロッパの中の一大会"くらいの認識だったんですね。1988年の大会でオランダが優勝して、マルコ・ファン・バステンがスーパーゴールを決めたという知識があった程度で...。

1992年にWOWOWに入社して、二輪の世界選手権の中継をドイツのホッケンハイムで行なうことになり、現地に行ったんですが、ちょうどEURO1992のスウェーデン大会が開催されていたんです。ドイツの片田舎でも、夜になるとみんな酒場で試合を見ながらサッカー談議を繰り広げていて「あぁ、すごいことをやってるんだな」というのがEUROとの出会いでした。当時は何も知らずに「何をこんなに盛り上がってるんだ?」と、コーディネーターに聞いたくらいでした。

今じゃ日本でもパブリックビューイングが当たり前にありますけど、当時はなかったでしょ? みんなで集まって大きな画面のテレビで試合を見るなんて。力道山のプロレス中継のころの話ですよね(笑)。だからそういう様子をドイツで見て「こういう文化なんだな」というのを知りましたね。

――その4年後の大会で、ご自身が実況を担当することになるとは...(笑)。

そうなんですよ。開催の1年ほど前に実況を担当することが決まって「あぁ、あれか!」って。1996年大会はイングランドでの開催でキャッチコピーが「フットボールが母国に帰ってきた」だったかな?高いモチベーションで臨みましたね。

――1996年のイングランド大会は実際に1カ月にわたって現地に行かれたんですよね? 本場の熱狂に触れていかがでしたか?

楽しかったですけど、イギリスは天気も良くないし、食べ物もおいしくないし(苦笑)、大変は大変でしたね。イギリスでもロンドンであれば、物価は高いけどおいしいものは食べられるんですよ。でも僕はマンチェスターを拠点にリバプール、ニューカッスルなどを巡っていたので...(苦笑)。ちゃんと食べる時間があるときは中華で、時間がないときはマクドナルド、4日に一度くらいはインド料理でした(笑)。

当時の解説者は、加茂周さん、岡田武史さん、水沼貴史さん、それから現在のサッカー協会の会長で、当時は強化委員長だった田嶋幸三さんで、僕は主に田嶋さんと組んでいたんですね。

210608_euro6.PNGUEFA EURO 1996™ ニューカッスルのセント・ジェームズ・パークの放送席にて
解説者の田嶋幸三氏(左)と柄沢(中央)

――マンチェスターでは爆弾テロに巻き込まれたそうですね?

そうです。ロンドンのウェンブリースタジアムでイングランドvsスコットランドの試合が行なわれた日です。ポール・ガスコインがボールを浮かせてボレーシュートを決めた有名な試合ですね。ちょうどその日は、エリザベス女王の公式誕生日を国民がお祝いする日でもあったんですが、それに合わせてIRA(アイルランド共和軍/北アイルランドの独立、アイルランドとの統一を目指す武装組織)が爆弾テロを予告していて、ロンドンは厳戒態勢の中でEUROの試合が行なわれたんです。

そうしたらIRAは裏をかいて、ロンドンではなくマンチェスターで爆弾テロを行なったんです。IRAのテロはデモンストレーションのためのものなので、基本的に予告をするんですね。爆破の直前に「現場はマンチェスターのショッピングセンターだ」と明かしたんです。僕と田嶋さんが宿泊していたホテルはそのショッピングセンターの目と鼻の先だったんです。

プロデューサーやほかのスタッフは翌日の試合の準備でオールドトラフォード(マンチェスターのスタジアム)に行っていて、僕と田嶋さんだけがホテルに残ってたんです。フロントから電話が鳴って、すごい早口で「緊急事態なので、すぐに退避してください!」って。ドアがドンドンとたたかれて従業員が「何やってんだ? 早く逃げろ!」って。エレベーターも止まってて、ホテルの外にある映画とかに出てくるような非常階段で「映画みたいだな」と思いながら逃げたんですけど、下を見たらショッピングセンターから逃げてきた人たちがいっぱいで、騎馬警官が「あの橋を越えろ!」とか叫んでいる状態でした。橋の方に向かっていく時に後ろの方でボーン!って音がして、ホテルの窓は全部割れて...。幸い、死者はいなかったんですが、それでも200人以上の重軽傷者は出ました。

逃げて橋を渡った先にパブがあったので、そこで電話を借りて、コーディネーターに「爆弾テロがあって...」という連絡をして、結局、そのパブでガスコインのスーパーゴールを見たんです(笑)。プロデューサー経由で日本にも連絡も入れたんですが「柄沢と田嶋さんが爆弾テロに巻き込まれた。無事らしいけど詳細は不明」とだけ伝わって、日本はざわついてたらしいです。1996年大会の一番の思い出と言えば、サッカーのことよりも爆弾テロの方ですね(笑)。

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テロを報道する当時の新聞

――初のEURO実況で、いきなりすごいエピソードが出てきました...。

ヨーロッパのテロ組織って、あくまでもデモンストレーションとしてのテロなので、変な言い方だけど「迷惑はかけるけど、死者は出さないようにする」みたいなところがあるんですよね。2002年だったかな? チャンピオンズリーグの準決勝がレアル・マドリードvsバルセロナのクラシコになったことがあったんです。マドリードの本拠地のサンチャゴ・ベルナベウのすぐ近くの銀行にETA(バスク祖国と自由/バスク地方の独立を目指す組織)が爆弾を仕掛けたと予告して、道路も封鎖されたんですけど、爆弾の場所が特定されたので、試合は普通に行なわれたんですね。そのときも僕は現地にいまして...。

――これも「持っている」からなのか...? ことごとく現場にいますね(笑)。

早野宏史さんと一緒にスタジアムに向かう途中に突然、車がまったく動かなくなって「どうした?」ってタクシーの運転手に聞いたら「爆弾テロで封鎖されたらしい」って。「試合に間に合うか?」って聞いたら「大丈夫だ」って裏道を通ってくれたんですけど。

ルイ・コスタのゴールに泣きながら口にした「ゴールデンエイジ最後の意地!」

――話をEUROに戻しますが(笑)、これまで6大会で実況を担当されてきて、忘れられない試合やエピソードがあれば教えてください。

2004年のポルトガル大会で、北澤さんとのコンビで中継した準々決勝のポルトガルvsイングランドですね。

ルイス・フェリペ・スコラーリというブラジル人監督の下で、フィーゴやルイ・コスタといった黄金世代にデコや10代のクリスティアーノ・ロナウドといった中堅、若手が加わったチームでしたが、黄金世代は既に選手として峠を越していて、大会が進むにつれて出番を徐々に減らしていたんですね。

その試合もフィーゴはスタメンでしたが、ルイ・コスタはベンチスタートでした。開始早々にイングランドがオーウェンのゴールで先制して、終了間際にポルトガルが追いついて延長戦になったんです。ルイ・コスタは途中出場だったんですけど、延長後半にとんでもないミドルシュートを決めるんですね。でもその後、イングランドがコーナーキックからランパードが決めて同点になって、最終的にPK戦でポルトガルが勝ったんですけど、あの試合のルイ・コスタのゴールは...。

スタジアムはリスボンのエスタディオ・ダ・ルスという、SLベンフィカ(※ルイ・コスタがユース時代を過ごしたチーム)のホームでね。あのゴールの瞬間、僕も泣きましたけど、横を見たら北澤さんも号泣してました。ルイ・コスタが中盤でボールを持ったとき、前にクリスティアーノ・ロナウドやFWのポスティガがいて、当然、パスを出すんだろうと思いつつも「このまま行かないかな?」と思いながら実況してて、結構な距離があったんですが、シュートを打った瞬間はしびれましたね。

210608_euro4.PNGUEFA EURO 2004™ 準々決勝ポルトガルVSイングランドの放送席にて解説の北澤豪氏と

当時、ポルトガルの黄金世代を日本の専門誌などで"ゴールデンエイジ"と呼んでいたんですね。本来の英語の"Golden Age"は「人間の最も運動神経が発達する時期」のことなので間違ってるんですけど(笑)、ルイ・コスタがゴールを決めた瞬間、泣きながら「ゴールデンエイジの最後の意地!」と思わず言ってました。

EUROは1996年大会と2000年大会では、延長戦でゴールが決まったらその瞬間に終了というゴールデンゴール方式を採用してたんですが、2004年大会からはそれが撤廃されていたんですね。北澤さんは、そのルール変更自体は知ってはいたんですけど、ルイ・コスタがゴールを決めた瞬間に試合終了だと勘違いしちゃって、それもあって号泣してたんですよね。僕は北澤さんを見て「これ、絶対に試合終了だと思ってるな」と思って「ポルトガル勝ち越し! しかし、今大会はゴールデンゴール方式ではないのでまだ試合は終わらない!」って実況したら、北澤さんも声に出さないけどハッとした顔で「あぁ、そうだった!」って(笑)。あの顔は忘れられないですね。

もうひとつ、忘れられないのは、試合が終わってもホテルまで帰れないんですよ。お祭り騒ぎで車がピクリとも動かない! 結局、タクシーを途中で降りて北澤さんと歩いてホテルまで帰りました。いまだに北澤さんに「あのとき、グルグル車で連れ回された揚げ句に最後は歩いたよね」って言われます(笑)。


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ほかには2000年大会の準決勝のオランダvsイタリアも忘れられないですね。オランダとベルギーの共催で、オランダは優勝候補で、準々決勝でユーゴスラビアに6-1で圧勝していて、これは準決勝も絶対にオランダが勝つだろうと思ってました。イタリアはひとり退場して10人になって、しかもオランダはPKを2度も獲得するんだけど、最初はフランク・デブールがイタリアのGKのトルドに止められて、2度目はクライファートのキックがポストにぶつかって失敗してしまう。当時のオランダとイタリアは完全に「矛と盾」で、しかもイタリアがひとり少ないので、さらに「矛盾」ですよ。結局、0-0のままPKまでもつれて、オランダが3人失敗して負けちゃったんですけど、最高に面白い0-0でしたね。

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UEFA EURO 2000™準決勝オランダ対イタリア アムステルダム・アレナにて奥寺康彦氏と

あのときも地元のオランダが負けたので、街が荒れちゃって、商店が破壊されたりして、翌日の午前中、街に出たら戦争の後みたいになってましたね...。あのときのアムステルダムの雰囲気で"EUROの重み"を体感しました。この試合も忘れ難いけど、やっぱりどれか一つを選ぶなら、2004年のポルトガルvsイングランドかな...?

「EUROは大河ドラマ」クリスティアーノ・ロナウドの号泣から12年越しの歓喜まで

――2004年のポルトガルのドラマを目の当たりにされていたということで、前回2016年のフランス大会でポルトガルが悲願の初優勝を果たしたときは...。

それはもう感慨深かったですねぇ。

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UEFA EURO 2016™決勝フランス対ポルトガル 放送席より柄沢が撮影

2004年は準々決勝のイングランド戦だけでなく、決勝でギリシャに敗れた試合も担当しましたからね。2016年の決勝の相手はフランスで、地元のフランスが勝った方が盛り上がるし、好きな選手も多かったのでフランスを応援する気持ちが半分くらいはあったんです。でも一方で2004年の決勝で、ポルトガルが攻めて、攻めて、何度もチャンスがあったのにクリスティアーノ・ロナウドがシュートをふかして決められずに負けて大号泣してるのを見てるから、好き嫌いを超えた思い入れがありましたね。

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クリスティアーノ・ロナウド/Getty Images

ところがそのクリスティアーノ・ロナウドが決勝でいきなり負傷して交代してしまうんですよね...。

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UEFA EURO 2016™ 決勝 ポルトガルvsフランス負傷するクリスティアーノ・ロナウド/ Getty Images 

試合は延長に突入するんですけど、延長に入るときにクリスティアーノが出てきて、選手ひとりひとりを激励する。本当はダメなのに延長の間じゅう、ずっと監督の横に立って、チームを鼓舞し続けていて。結局、エデルのゴールでポルトガルが優勝するんですけど、僕は実況の前フリで「悔し涙が歓喜の涙に変わる日が来た」という意味のコメントをしてたんですよ。実際にそうなるだろうと思ってたら、負傷交代の無念の涙になっちゃったわけです。「あぁ、クリスティアーノ・ロナウドの物語はここで終わるのか...」と思っていたら、本人はピッチには立てなかったけど、ピッチサイドに立って一緒に戦ってタイトルを取った。個人的に一つのドラマが完結したという想いがありましたね。

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UEFA EURO 2016™フランス大会での実況解説陣(左から:ハリルホジッチ氏、フローラン・ダバディ氏、野口幸司氏、柄沢)

【今年の見どころ】フランスの雪辱なるか? イングランドが忘れ物を取り返す? ダークホースは?

――果たして今年のEUROで、新たにどんなドラマが生まれるのか? そもそも昨年、開催されるはずが新型コロナウイルスの影響で1年延期になったということ自体、ものすごいドラマですが...。あらためて今大会の展望、楽しみにしていることをお願いします。

今回は本当にまったく予想がつかないですよね...。1年の延期がどこに有利に働き、どこに不利に働くのか? フランスは前回、地元での決勝で負けてますが、その主力がほぼそのまま残っているところにエンバペも加わって、前回大会の雪辱を果たすのか?

210608_ebappe_GettyImages-1231988010.jpgエンバペ/ Getty Images

今回、決勝はロンドンのウェンブリーですけど1996年のイングランド大会でイングランドは優勝候補と言われながら準決勝でドイツにPKで負けているんですね。もちろん、当時の選手はもう誰も残っていないですが、あのときの忘れ物を取り返すのか? 実力を見れば僕の本命はフランスですけど、イングランドも"ドラマ"を持っているのかなと。

もちろんスペインも強いですし、前回大会のアイスランドやウェールズのようなダークホースの存在も楽しみですね。ドラマって割と後付けで、実際に終わってから「これって実は...」という部分が多いので、事前に予想するのはすごく難しいんですよ。

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あと、見どころとして面白いのはいわゆる"死のグループ"です。3つが飛び抜けて強いグループの場合、案外"噛ませ犬"だと思われている残りの1チームがキャスティングボートを握っていたりするんです。優勝候補がそこに負けたり引き分けてコケたりする可能性もあります。

2004年のときはオランダ、チェコ、ドイツ、ラトビアが同居していて、ドイツはラトビアと引き分けてグループリーグで敗退したんですね。2000年大会はドイツ、イングランド、ポルトガル、ルーマニアが同居して前評判ではドイツとイングランドだったけど、実際に勝ち上がったのはポルトガルとルーマニアですからね。

今回の"死のグループ"は、グループFのドイツ、フランス、ポルトガルとハンガリーです。僕はフランスを優勝候補と言いましたが、もしフランスがハンガリーと引き分けるようなことがあると、グループリーグ敗退もありえますから。ハンガリーがどこにひと泡吹かせるのか? 楽しみなところですね。

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――ワールドカップにはないEUROならではの魅力、楽しさというのはどういった部分にあると思いますか?

日本と韓国の人たちから見た日韓戦を想像していただければ分かるかと思いますが、サッカーだけでない歴史や文化も踏まえた国同士の因縁みたいなものがある。そういう関係がヨーロッパの狭い範囲に至る所にあるわけです。例えばオランダから見たドイツ、とかイングランドとフランス、スペインとポルトガル、ロシアとポーランドとか、至る所にそういうドラマがあります。
セルビア、クロアチア、スロベニアといった旧ユーゴスラビアの国々もそうですね。これも忘れられない試合ですが、EURO2000のグループリーグでユーゴスラビアとスロベニアが対戦したんです。まだ内戦の傷跡がいまよりもずっと生々しく残っているころで、国歌斉唱の時点でブーイングの嵐なんですよ。試合が始まったら、スロベニアが3点を取って、しかもユーゴのミハイロビッチが退場してしまい、これは決まったかと思ったら、引退間近のストイコビッチが途中出場して"魔法"をかけるんですね。終わってみたら3-3のドロー。すごい試合でした。そういう歴史や背景が怖いぐらい、嫌らしいくらい露骨に反映されるのがEUROなんですよね。単なるスポーツの試合だけではない"深み"がEUROならではの魅力ですね。

210608_GettyImages-609482188.jpgGetty Images

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サッカー中継はチーム戦! スタッフとの信頼関係がもたらす"厚み"

――ここから再び柄沢さんの仕事観について伺います。WOWOWでは"偏愛"をテーマに掲げていますが、柄沢さんが仕事をされる上での偏愛、大切にしていること、譲れないことはどういったことでしょうか?

一番大切にしているのは、キレイごとに聞こえるかもしれないけど、チームワークですね。アナウンサーってひとりじゃ仕事できないんですよ。前面に立っていて、時計の文字盤に例えられることもありますけど、その後ろに機械やぜんまい――技術的な部分はもちろん、放送に至るまでの準備をしてくれる裏方さんやスタッフがいる中で、自分たちが最終ランナーとして前面に出ているだけなんです。

実況しているとき、モニター画面だけを見ているわけではなく、資料を見たり、解説者の顔を見たり、フロアディレクターの指示に目を落としたり、いっぺんにいくつもの情報を処理します。時計の確認にしても、単に「後半20分」といったことだけでなく「あと何分で番組全体が終わる」とか「特集の企画を入れる」とかもあります。
チームの存在をうまく使えなければ、厚みのある放送にはなりません。僕も周りを助けるし、僕のことも助けてほしいと思ってやっています。

例えばフロアディレクターをちらっと見ただけで、今僕が何を欲しているかを理解してくれる。中継の画面に一瞬パッと著名人が映ったら、すぐにスタッフに「調べてください」と指示をして、差し紙をくれるし、細かい数字について、僕が抽象的に口にした内容について「3試合連続ゴールです」とか教えてくれる。
そうやって「みんなで作っている」、個人じゃなく団体戦だということを大事にしてるし、そうすることで相手も気持ちよく仕事ができて、信頼関係が増して自分も気持ちよく仕事できるようになるんです。それはスポーツ実況をやる上で必要なことだと思います。

WOWOWのサッカー中継は同じスタッフチームで20年近くやっているので、フロアディレクターからサブも含めて一体感があるなと思います。

そこで経験のある僕がそういう姿勢でやっていれば中堅、若手のスタッフもそうやってやるんだと学んでいきます。ただ数字を読み上げたり、時間を管理するだけでなく、お互いに補完し合う関係性を作っていくまでが仕事なんだということが分かれば、やりがいも生まれてきます。「やらされている」のではなく、自分から積極的に関わるようになれば、こっちからオーダーしなくても、いろんな情報を探してくれるようになって「メルケル首相が観戦に来ています」みたいな情報が書かれた差し紙が勝手に入ってくるようになるんです。チーム戦によって生まれる"厚み"こそ、WOWOWの放送の強みだと思います。

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――今まさにWOWOWのチームの強みという話が出ましたが、WOWOWとしてサッカーを視聴者に届ける上で、大切にしていることは何ですか?

まずリスペクトとフェアネスを忘れてはいけないということ。目の前で起きていることのすばらしさ――それは非常にレベルの高いことなんだというのを常に忘れないことですね。

過去のさまざまなスポーツ中継における"名実況"と言われるフレーズがあります。それらがアナウンサーがその瞬間に思わず漏らした、心の底から出てきた言葉であるなら、それはいいと思うんですよ。でも、あらかじめ予定稿で用意しておいて「来たな!」と思った瞬間にそのセリフを大声で言うというようなものは名実況ではないと思いますし、WOWOWではそういうことはしません。

あくまで大切なのは、競技そのものなんです。それはアスリートに対するリスペクトであり、競技そのものに対するリスペクトでもあると思います。結果的に涙を誘うことはあるかもしれませんが、それはあくまで結果であって、最初の狙いがそこではないんです。

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取材・文/黒豆直樹  撮影/祭貴義道

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■UEFA EURO 2020™サッカー欧州選手権

2021年6月11日(金)~7月11日(日)全51試合を生中継&ライブ配信