2026.03.25

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車いすバスケットボール選手・古澤拓也が語る、ドイツへ渡った理由とロサンゼルスへの誓い

車いすバスケットボール選手・古澤拓也が語る、ドイツへ渡った理由とロサンゼルスへの誓い

2024年パリパラリンピックへの出場を逃したことを機に、WOWOW社員でもある車いすバスケットボール日本代表・古澤拓也は長年の躊躇を乗り越えて海外挑戦を決断した。年始にドイツへ渡った古澤が1部リーグのRhine River Rhinosで過ごす日々のなか、見えてきたものとは何か──。2028年ロサンゼルスパラリンピックへの想いやWOWOW社員としての仕事への姿勢にも触れた。

パリパラリンピック出場を逃したことが、すべての始まりだった

──2025年の末にドイツ1部リーグの「Rhine River Rhinos(ライン・リバー・ライノス)」へ移籍した古澤さん。2022年のインタビューでは「海外での挑戦」という言葉はまだ出てきていなかったのですが、いつ頃からその想いが芽生えたのでしょうか?

当時は「パリパラリンピックに出場した後で、その先のことは考えよう」と思っていたので、海外でプレーするという選択肢はまったくなかったんですが、結果として2024年パリパラリンピックに日本は出場することができなかった。その事実は僕にとって、大きなターニングポイントになりました。

実は東京2020パラリンピックが終わって以降、ドイツのチームから毎年お声がけいただいていて。ずっと「自分には縁がないものだ」と勝手に思っていたんですが、パリパラリンピック出場を逃した時に「もう一度パラリンピックに出場して結果を残すためには、海外のリーグでプレーすることは絶対条件なんじゃないか」と考えて行動し始めました。

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──「縁がないものだ」と思っていたのはなぜでしょう?

パラ神奈川スポーツクラブ(現・神奈川VANGUARDS)の選手として、天皇杯を3連覇するという目標があったことと、あとは正直なところ、大きなチャレンジをするエネルギーを出し惜しんでいた部分があったと思います。「バスケットボールをやるのに海外、国内は関係ない」とか「次の世代の選手たちが海外に挑戦すべきで、僕ではなくていいんじゃないか」とか、自分の中で良いように捉えて避けていたんですよね。

──パリパラリンピックに出場できなかったことで、それらがすべて覆された?

そうですね。これまで先輩たちがつないできてくださった、日本代表のパラリンピック連続出場記録を自分たちの世代で途絶えさせてしまった。その責任は選手の誰もが強く感じていましたから。僕自身、パラリンピックの舞台で活躍している姿を皆さんにお見せして、日本の車いすバスケットボールを将来につなげていくことが自分の役目だと思っていますし、そのために日々厳しいトレーニングを積んでいるという想いがありましたから。

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「本当に来てほしい」という想いが移籍の決め手となった

──そうして決意した海外リーグでの挑戦。Rhine River Rhinosを選んだ理由は?

僕はボールを持ってゲームをコントロールする「ボールハンドラー」というプレースタイルなんですが、Rhine River Rhinosがまさにそういう選手を求めていました。チームには僕と同い年でヘッドコーチを務めている選手がいて、ずっと対戦してきた相手なので僕のスタイルを知ったうえで声をかけてくれたのかなと。日本代表の秋田啓選手が所属していて映像でよく見ていたこともあり、「海外に行くならここだな」とずっと思っていたチームでした。

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──海外移籍について、周りの方にも相談しましたか?

WOWOWの先輩でもあり、ドイツリーグでのプレー経験がある豊島(英)さんにはもちろん相談しましたし、海外経験の多い選手や同世代の選手にも相談したところ、みんな「自分がどうしたいか」だとアドバイスをくださったんですが、その言葉でもまだ僕は踏ん切りがつかなくて......。

大きなきっかけはドイツ遠征「Nations Cup Cologne 2025」でした。Rhine River Rhinosのマネジメントの方たちがわざわざ時間を作って来てくださって、「本当に来てほしいんだ」と直接伝えてくれて。そのときのNations Cupで良い結果も出せていて、「こういった国際大会で戦っていくときに、海外のチームに所属していたらまたちょっと違う感覚になるんだろうな」と前向きに思えて、そこから話が進んでいきました。

──現在、元チームメイトの鳥海連志選手もスペインリーグでプレーされています。古澤さんより少し前にスペインへ渡った鳥海選手にも相談はしましたか?

相談しました。「日本代表が勝つためには、選手一人ひとりが自分に適した経験を積んでいく必要があるんじゃないか」とか「新たな環境で、失敗も含めて自分の力でいろんなものをつかんでいくことが大切だよね」といった話をして。天皇杯優勝後の神奈川VANGUARDSはほぼ負けなしのシーズンが続いていたんですが、そのレベルで勝ち続けていても世界には勝てなかったというのが事実で。「そろそろ挑戦した方がいいよね」と鳥海と話し合ったのも、一歩を踏み出す後押しになりました。

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「国際大会に毎週出ている感覚」ドイツで得た予想以上の経験値

──移籍が決まったときの気持ちは?

ワクワクしたと言いたいところなんですが、不安のほうが大きかったです(苦笑)。正式に契約書を交わしたのが遅かったのと、渡独する直前まで国内クラブのシーズンが終わらなかったこともあって、準備も慌ただしかったです。生活面でも、最初は「ちゃんとやっていけるのだろうか?」という漠然とした不安がありましたし、言語の壁もある。

でも、いざ来てみたら、チームのメンバーはすごくフレンドリーだし、街の人も車いすユーザーの僕にさりげなく声をかけてくれることが多くて、その心地よさには驚きました。バスに乗ろうとしたらすっと手を差し伸べてくれるような自然なコミュニケーションが日常にあって、気が付けばドイツの生活にすごく馴染んでいました。今は何も困っていることはありません。

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──ドイツリーグの試合に出場して感じたことは?

想像していた以上に、1試合1試合で得られる経験値が高いことを実感しています。最近は30分ほど出場させてもらっているんですが、例えるならば、国際大会に30分間出場している感覚といいますか。そういった試合を毎週繰り返しているというのはやはり、国内リーグや日本代表戦だけでは得られなかった経験だと思います。試合ごとにトライアンドエラーを積み重ねられる環境は、思っていた以上に大きいと感じています。

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──先ほどのお話にあったように、チームからはボールハンドラーとしての役割を求められているのでしょうか?

そうですね。当初からチームには「ボールハンドラーとしてゲームを組み立てること」と「ディフェンスでの貢献」を求められていましたが、それに加えて新たに言われているのが「得点力」です。「拓也はパスやゲームメイクはすごくうまいけれど、シュートを見送る回数が多いよね。シュートを打たないと得点は入らないし、そこでしっかり決めることがチームへの貢献につながるよ」と合流当初から何度か言われていて。日本での「時間をかけて、シュートを打たせたい選手にボールを集める」という意識を「自分でシュートを打つ」という意識に変えて自分の中に落とし込むことが最初は難しかったけれど、いまは積極的にチャレンジしています。

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──シュートのほかにも課題はありますか?

ゲームコントロールが課題です。チームメイトにはドイツ代表やイギリス代表でも活躍しているポイントガードがいて、彼らのゲームコントロールが本当に巧みなんですよね。意図的に時間を遅らせたり、逆に速めたり、味方が慌てているときにさりげなく声をかけて落ち着かせたり。そういう細かな気配りを間近で見ていると、「いまの自分に必要なのはまさにこれだ」と気づかされます。彼らと毎試合一緒にプレーできているのが、いまの自分の最大の財産だと思っています。これをものにしたとき、海外を経験してきた先輩たちから感じられる「コートに立ったときの落ち着き」みたいなものに、少しは近づけるんじゃないかなと思います。

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コートの外でも、WOWOWの社員として「できることを増やし続ける」

──WOWOWの社員でもある古澤さんですが、ドイツではどのような業務をしているのでしょうか?

人事部では、先輩社員のアシスタント業務を中心に担当しています。 日々の業務の中で他部門の方と関わる機会も多く、社内のさまざまな仕事の流れを少しずつ理解できるようになってきました。 現在はドイツに滞在していますが、オンラインツールを活用しながらこれまでの業務を継続し、自分にできることを増やしているところです。 また、社内報ではドイツリーグでの近況に加えて、生活の中で感じたSDGsの取り組みやDEIに関するトピックスも紹介し、 競技面だけでなく、海外の文化や社会課題に触れていただける機会づくりにも取り組んでいます。 業務にあたっては、人事部の皆さんをはじめ、他部門の方にも丁寧に教えていただき、本当に感謝しています。 アスリートとしての活動を会社に支えていただきながら、社会人としての責任やスキルを身につける機会があることにも感謝しています。 これからも競技だけでなく、社会人としても成長し続けられるよう、引き続き学び続けていきたいと思います。

──パラアスリートとして活動する意義は?

WOWOWの田中(晃)会長から「エンタメ会社の選手として、車いすバスケをエンタメとして提供できる選手にならないといけない」という言葉をいただいたことが自分の中にずっと残っていて。見る人が釘付けになるようなプレーを目指すことと、会社員として着実に仕事を覚えていくこと、その両方を大切にしながら日々取り組んでいます。

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選べる幸せがあるかぎり、ワクワクするほうを選び続けたい

──2028年ロサンゼルスパラリンピックに向けた想いを聞かせてください。

僕のすべての行動は、ロサンゼルスパラリンピックのためにあります。「年齢的にも性格的にも、もしかしたら次が最後になるかもしれない」と考えると、後悔のない選択をしていきたいので、まずはなによりもロサンゼルスパラリンピックに出場したい。「東京2020パラリンピックで銀メダルを獲ったときのあの喜びをもう一度味わいたい」という気持ちが、いまの僕の原動力になっているんです。

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──前回のインタビューでは「パラリンピックでスターティング5として出場する」ことを目標に挙げていましたが、現在はいかがでしょう?

そうですね。以前はスターティング5に入ることへのこだわりが一番強かったんですが、いまはこだわりの質が変わったように思います。もちろん、スターティングラインナップあるいはクロージングラインナップには入りたいけれど、それ以上に「試合に出たときに、結果を出せる選手でありたい」という意識の方が大きくなっていて。チームが困ったときに切れるカードとして、常に必要とされる存在であること。それがいまの自分の目指すところです。


──Instagramでは今年を「選び続ける一年」と表現されていました。改めてその想いを聞かせてください。

毎年、1年の始まりに大切にしたいことを決めるのが自分なりのルーティンになっているんですが、「選び続ける」という言葉にしたのは、ドイツに行くことを「選べた」という実感が自分の中に大きくあったからだと思います。何かを続けるにしてもやめるにしても、自分の意思でちゃんと選んでいるかどうかが大事で。迷ったときは、最終的にどちらがワクワクできるかで選ぶようにしています。バスケットボール自体も選択の連続のスポーツですし......その感覚を1年間の習慣にしたいです。

もう一つ、「選べること」自体がとても幸せなことだという想いもあります。車いすユーザーになってから、選べない場面が増えました。一番好きだった野球は、選択肢にすら入れられなかったし......だからこそ、選べる幸せがあるかぎり、ワクワクするほうを選び続けていたい。後悔のないものを選んでいくというのが、今年一年の自分へのテーマです。

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──最後に、5年〜10年先の目標を聞かせてください。

厚みのある大人になりたいです。バスケットボールにどんな形で関わっているかはわかりませんが、仕事はこれからもできることをどんどん増やしていきたい。車いすバスケットボール選手としても会社員としても、ずっと近くに豊島さんというロールモデルがいてくれたので、僕は本当に恵まれていると思います。僕にとっての豊島さんのように、下の世代のパラアスリートや車いすユーザーに「キャリアの描きかた」や「キャリアの選択肢」として僕の競技と仕事の両立の方法を見てロールモデルにしたいと思ってもらえるような姿を見せていくことが大切だと思っています。

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【プロフィール】
古澤 拓也(ふるさわ・たくや)
所属チーム  Rhine River Rhinos(ドイツ)
小学6年生の時に先天性の二分脊椎症の合併症が原因で車いす生活となる。最初に始めたのは車いすテニスで、その練習会場で行なわれていた体験会に参加したことをきっかけに車いすバスケットボールを始める。2017年にIWBFアジアオセアニアチャンピオンシップで日本代表として公式戦デビューを果たした。2021年4月にWOWOWに入社し、現在は人事部に所属。2021年に行なわれた東京パラリンピックで銀メダルを獲得した。

取材・文/とみたまい 撮影/株式会社つなひろワールド