東京2020パラリンピックから1年たったいま、車いすバスケットボール銀メダリスト鳥海連志&古澤拓也にあらためて聞く
人事部 鳥海 連志 / 人事部 古澤 拓也
東京2020パラリンピックで快進撃を続け、銀メダルを獲得した車いすバスケットボール男子日本代表。あれから1年がたち、新しいチーム体制で2024年パリパラリンピックを目指す現在の心境を鳥海連志と古澤拓也が語る。
東京2020パラリンピックを終え、それぞれが向き合った"喪失感"
──東京2020パラリンピックから1年がたちました。率直にいま感じていることは?
鳥海 東京パラリンピックは、日本の車いすバスケットボールを取り巻く環境という意味でも大きな意味のある大会だったと思っています。
鳥海 8月24日に開催された東京2020パラリンピック1周年記念イベントで車いすバスケットボールのエキシビションマッチが行なわれましたが、これまでにないくらい多くの方が観に来てくださいました。そんな光景が見られたのは、東京パラリンピックが開催されたからこそだと思いますし、いろんなところで良い循環が生まれていると1年たったいま、あらためて感じています。
古澤 僕にとって初のパラリンピックだったので、すごく特別な大会でした。それだけを目標に車いすバスケットボールを何年もやってきたので、銀メダルを取ることができた満足感や、大会が終わってからの喪失感が大きくて......「僕はなんのためにバスケットボールをやっているんだろう? 次は何を目標にしたらいいんだろう?」と模索する時間がとても長かったです。
──現在もまだ模索中ですか?
古澤 1周年記念イベントのエキシビションマッチが開催され、多くの方に観ていただける喜びをあらためて実感しました。試合ができることがすごく楽しかったんです。もちろん「パラリンピックに出て、勝ってメダルを取りたい」という想いが軸としてはありますが、それと同じくらい「車いすバスケットボールを楽しみたい」という想いも強いことに気付けたイベントだったんです。
楽しいからやる、やるからには負けたくない、その二つが、僕がバスケットボールをやる理由なんじゃないかと再認識できました。
──鳥海さんも東京2020パラリンピックが終わって、喪失感を抱くことはありましたか?
鳥海 多少なりともありました。2016年のリオパラリンピックからが長かったですからね。東京パラリンピックだけを見据えて約5年間、ずっと苦しい時間が続いていたので......次の2024年パリパラリンピックでは自分自身、東京のときのように燃えることができるのかどうかという不安はありましたし、いまもまだあります。
──その不安とどうやって向き合っていくのでしょうか?
鳥海 東京パラリンピックまでの道のりを振り返ってみても、パラリンピックという長期目標だけでなく、その時々で短期目標をしっかりと設定してクリアを目指したのが良い結果につながったと思っています。ですから、いま目の前にある大会や合宿の一つ一つを丁寧にやり遂げることを自分のテーマにしています。その中で自分がどれだけ成長して、チーム内でより存在感を放っていけるのか......それに尽きると思います。
──古澤さんも「ここに注力しよう」と意識していることはありますか?
古澤 先ほどの話と重なりますが、あらためて「バスケットボールを楽しむ」ことに力を入れています。所属しているパラ神奈川スポーツクラブも日本一を狙っているチームですし、日本代表としても金メダルを取ることを目標としていますから、その中でどれだけ楽しめるかというのは自分にとっても今後の鍵になるんじゃないかと思っています。
──古澤さんの言う「楽しむ」とは?
古澤 僕はボールを触ることがすごく好きなので、プレーすることが楽しみにつながるんです。その中で、チームメイトとコミュニケーションをどんどん図っていきたいですし、苦しんでいる選手がいたら声を掛けていきたい。僕は負けず嫌いなのでよくアツくなってしまうんですが、そういったときにも楽しむ方向へ修正していきたい。バスケットボールの中でいろんな"楽しむ"を探すことが、これからも長くバスケットボールをやっていくうえで自分にとっては重要なのかなと思います。
それぞれが意識し注力する"新たな役割"
──東京2020パラリンピックが終わり新チームになったいま、チームの中での役割として変わった部分はありますか?
鳥海 新チームになって"オフコートリーダー"という副キャプテンのポジションに選んでいただきました。副キャプテンは3人いるんですが、自分が選ばれた理由が必ずどこかにあると思うので、僕らしい副キャプテンとしての役割を示していければと思っています。
──オフコートリーダーというのは、例えばどんなことをするのでしょうか?
鳥海 チームが若いので、コートに入るときにきちんとオンになれるようなオフの作り方を模索するのが役割の一つとしてあります。オフの過ごし方って......メンタルだけオフになってもダメですし、フィジカルだけオフになってもダメなんです。例えば、メンタル的には楽しくても、体を動かしすぎてしまうと疲労がたまっていく一方になっちゃいますよね。
「心と体の両方をバランスよく休ませることができているか」というのは常に気を配らないといけないなと思いますし、それを実現するためにチームを引き締めるような厳しい規則をつくる必要が出てくるかもしれない。2024年のパリパラリンピックまで試行錯誤しながら、オフコートリーダーとしてチームのバランスを整えていくことが僕の役割だと認識しています。
──古澤さんはチームのなかで自分の役割が変わったなと感じる部分はありますか?
古澤 僕はどちらかというと、プレーの部分で意識しています。東京パラリンピックでは「もっと自分の個の力を上げていれば、金メダルに近づけたんじゃないか」と痛感したので、ヘッドコーチとも今後の方針を話し合ったんです。僕はボールを持つことが多い選手なので、自分のスタイルを貫きながら個の力をどんどん上げていくことに注力する。そうすることによって、得点力やアシスト力、ゲームを読む力を底上げできれば、日本代表にとっても必ずプラスになると思っています。
──先ほどもお話に出てきた8月24日に開催されたパラリンピック1周年記念イベントでのエキシビションマッチですが、試合を終えてみてどのように感じましたか?
鳥海 東京2020パラリンピックから1年間、何度も合宿を重ねてきた日本代表でしたが、「まだ銀メダルを取ったチームには達していないな」というのが正直なところでした。自分自身もミスが多く、周りに頼る場面も多かった試合だったと感じています。
チーム全体としても、僕自身としても「観客が入った大きな舞台で出せる、現時点でのチームの実力はこれぐらいなんだな」と認識できたことは、パリパラリンピックに向かううえで地に足をつ着けることができた、重要な試合だったと思います。
「本を出せてよかった」
それぞれの著書に込められた想い
──WOWOWの社員としての役割はどんなところにあると感じていますか?
鳥海 東京パラリンピックまでもそうでしたが、しっかりと結果を出すために競技に集中する日々を送る。その姿勢であったり、何かを成し遂げるためにチームとして戦っていく姿を見せることが、社員の皆さんへの何かしらのメッセージになっていればいいなと思いながらバスケットボールをしています。
古澤 連志と一緒にWOWOW内のパラスポーツのプロジェクトに関わっていたり、7月の「WOWOW Presents 車いすバスケ体験教室 in 愛媛県」のようなイベントに参加したりと、今後も車いすバスケットボールやパラスポーツの普及・発展に関わっていきたいと思います。もう一方で、連志が言ったように選手として結果を出す姿、チームとして結果を出す姿を見せることも僕らの役割だと認識しています。
──鳥海さんは『異なれ - 東京パラリンピック車いすバスケ銀メダリストの限界を超える思考 -』(ワニブックス刊)を出版されました。前回のインタビューでも「優れるな、異なれ」というお話をされていましたが、あらためて本に込めた想いを教えてください。
鳥海 以前はWOWOWの先輩でもある(豊島)英さんと同じ持ち点(※)2.0点の選手だったんです。リオパラリンピックを経て東京パラリンピックに向けて始動したときに「スタメンになりたい」という目標を掲げましたが、そのためには英さんを越えなければいけなかった。さらに僕は持ち点が2.5点に上がってしまって、ますます英さんが高い壁となったんですね。
鳥海 ずっと「英さんをどう越えるか」がテーマでしたが、追っても追っても届かない中で「自分の道を進んでいこう」と思ったのが本のタイトル「異なれ」につながります。人と異なる"自分だけが持つキャラクター性や強み"をチームに対して発信していく。これが東京パラリンピックまでの道のりで僕がこだわってやってきたことだったので、そういった経験を踏まえて本を書きました。
※ 車いすバスケットボールの「持ち点」とは
障害の重い選手にも軽い選手にも等しく試合に出場するチャンスを与えるため、車いすバスケットボールの選手にはおのおの障害の程度にあわせて1.0~4.5の持ち点が定められている。試合中コート上の5人の持ち点の合計が14.0を超えてはならない。
──反響はいかがですか?
鳥海 たくさんの方に読んでいただいて、感想をいただいたりもしました。二つや三つ共感できる部分を見つけてもらえたらと、40の項目に分けて僕の思考を綴る構成にしたんです。実際に共感できたり参考になったりする部分がありましたという声をいただくと、本を出せてよかったなと思います。
──古澤さんも『車いすでも、車いすじゃなくても、僕は最高にかっこいい。』(小学館刊)を出版されています。どういった想いを込めてこの本を書いたのでしょうか?
古澤 12歳のときに背中の病気で車いすユーザーになりましたが、それまでプロ野球選手になりたいという夢を抱いていたんです。だから、歩けなくなることよりも、野球ができなくなる絶望のほうが僕にとっては大きかったんです。
そんなときに、北京パラリンピックで金メダルを取った車いすテニスの国枝(慎吾)選手の試合を見て「車いすでもこんなにかっこいい人がいるんだ」と思ったのがスタートラインでした。
古澤 「今度は僕が誰かにとってのそういう存在になりたい」と思いパラリンピックまでの道のりを歩んできたときに、出版のお声掛けをいただいたので「このチャンスはいましかない」と思って決意しました。
書いている中で自分自身の人生を振り返ることができましたし......最初は車いすユーザーの子どもたちや親御さんのために書こうと思っていましたが、障害の有無に関わらず、読んでくださった方それぞれに何か参考になる部分があるんじゃないかという想いがどんどん出てきたんです。
連志の本も読みましたが......お互いに書き方は違えど、チャレンジの仕方や人生への向き合い方が同じで、伝えたいことも近いんじゃないかと思いました。
──感想は届いていますか?
古澤 たくさんいただきました。お子さんが「小学校の読書感想文に書きます」とお手紙をくださったり、障害のないお子さんが「車いすってかっこいいんだね」と言ってくださったり。
連志や僕が本を出したことや、車いすバスケットボールで活躍していくことで「障害の有無に関わらず、かっこいい人はいる」ということを世間に伝えていけるんじゃないかなと思っています。
──SHIBUYA TSUTAYAで合同の書籍発売記念イベントをされていましたが、直接読者の方たちと触れ合う貴重な機会になったと思います。
鳥海 僕の本を読んだり、東京パラリンピックの試合を見て「人生が再スタートしたような気がします」という言葉をくださった方がいたんです。もしかすると人生の中で悩むことがあって、立ち止まっていたのかもしれない。そういった方がリスタートするきっかけになれたというのは、僕にとっても重要なことでした。
僕が実際に誰かの人生に影響を与えることができたんだと肌で感じることができて、「本を出してよかったな」と思いましたし、そういった方が多くいるといいなと思いました。
古澤 お子さんからご年配の方まで、幅広い年齢の方がお越しくださって「すごく元気をもらいました」とか「勇気をもらいました」といった言葉をいただけたのがうれしかったです。
銀メダル獲得に至るまでいろんな困難や難しい局面があり、自分で色々と考えたり悩みながら克服してきたことが伝わったんじゃないかと実感できる機会になりました。
「連志とプレーするのが僕はいちばん楽しい」
スターティング5へのこだわり
──前回のインタビューで鳥海さんは「U-23として最後の試合になる世界選手権での金メダル獲得、パリパラリンピックでのメダル獲得、海外でのプレー」の三つを、古澤さんは「パリパラリンピックでスターティング5として出場する、パリパラリンピックで金メダルを獲る」の二つをそれぞれ目標に掲げていました。現在はいかがでしょうか?
鳥海 U-23の世界選手権での金メダル獲得という目標は変わりません(注:取材後大会が行われ、U-23日本代表が優勝)。パリパラリンピックでのメダル獲得も、世界から強豪と言われる日本になるために必要なので、目標として変わっていません。
海外でのプレーについては、考えが変わりました。東京パラリンピックが終わって日本で活動していくな中で、日本は海外と同じくらい環境が良いと思えましたし、海外にならってプロチームを作っていくのはそこまで難しいことではないように思えています。
日本の車いすバスケットボールをより盛り上げる、日本に居ながら僕の競技レベルを上げていく。そっちのほうがよりチャレンジングですし、海外に行って僕だけが成長するよりも、チームメイトと一緒に成長していくほうが面白いなといまは思っています。
古澤 パリパラリンピックでスターティング5として出場するという目標は変わっていませんが、「なぜそうしたいのか」という部分が変わったかもしれません。以前は自分自身のプライドだと思っていましたが、あらためて考えたら......「連志とプレーするのが僕はいちばん楽しいんだな」と気付いたんです。自分のスタイルが出せるし、波長が合う。最近はポジション争いをしたり、少しだけしか一緒に出られなかったりしていましたが、U-23の世界選手権(2017年)のときのように、僕らを中心にチームを作っていきたいとコーチに思ってもらえるように僕はなりたいと思っています。
古澤 だからこそ、スターティング5に入るというのを第一の目標として挙げて......メダルを取る以上に、スターティング5へのこだわりを持っていても良い年齢だと思うんです。もっとベテランになるとそうは言っていられないでしょうから、最後のチャンスとして、パリパラリンピックではエゴを出してもいいのではないかと思っています。
もう一つ目標として増えたのは、クラブチームにおいて英さんが成し遂げた11連覇を塗り替えたいということ。12連覇を実現したら......英さんから何かご褒美があるんじゃないかなって思っています(笑)。
──鳥海さんはベストドレッサー賞の受賞やMAISON MIHARA YASUHIROのショーの出演などもされています。それらを含めて、個人としてやっていきたいことなどはありますか?
鳥海 競技以外のことでいうと、自分が中心に立って進めていくファッション関係のプロジェクトが実際にいま動いています。もう一つ、クラブチームの運営や大会の運営側にも関わったりと、選手として競技をするだけでなく競技からいろんなプロジェクトが派生していって、そこに関わっていけるというのは新鮮だし、東京パラリンピック以降の変化でもあると思います。
左) Photographer : Shoji Fujii 右) © 日本メンズファッション協会
古澤 僕は個人として二つの目標があります。子どもたちがプレーする機会や体験する機会が本当にないので、車いすの操作やボールの持ち方といった基本的なことから教えられるような場所を作っていきたいと思っています。
そうすることで日本の車いすバスケットボールはもっと強くなっていくと思うので、ジュニア世代よりも下のキッズ世代の指導に力を入れられるような環境を作っていきたいというのが一つの目標です。もう一つは......個人的にコーヒーが好きなので、カフェのオーナーになりたいという夢を持ちながらバスケットボールを頑張っています(笑)。
取材・文/とみたまい 撮影/祭貴義道