2023.11.14

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新役員、井原多美にインタビュー! トラブル続出の現場を経験してたどり着いた境地(前編)

取締役 専務執行役員 井原多美

新役員、井原多美にインタビュー! トラブル続出の現場を経験してたどり着いた境地(前編)

2023年6月にWOWOW初の女性役員として入社した井原多美取締役 専務執行役員に白戸広報・IR部長がインタビューを敢行! アディダス ジャパン時代は日韓ワールドカップにも携わり、前職のウォルト・ディズニー・ジャパンでは『アナと雪の女王』の宣伝を担当するなど、その多彩な経験をもとにWOWOWの今後についても熱く語ってくれた。(前後編の前編)

日韓W杯を前にトラブル続出?「開幕前に絶対倒れるなと思っていました(笑)」

――まずはこれまでのキャリアについて教えてください

井原 新卒で広告代理店の大広株式会社に入社し、当初はラジオ営業で文化放送さんやJ-WAVEさんを担当していました。文化放送さんには朝と晩、12回は何もなくとも足を運ぶようにして、皆さんに随分かわいがっていただき、入社1年目でなぜか忘年会の乾杯のあいさつをさせていただいたりしました(笑)。なんとか自分で売り上げを立てようと、単に広告を取ってくるだけでなく、イベントと一体型の案件や地方でのプロモーションのサポートなどをしていました。

3年ほどして外資系広告代理店のレオバーネット協同株式会社(現・ビーコンコミュニケーションズ)に転職しました。子どもの頃からマレーシアに住んで、アメリカンスクールに通っていたので、英語を使った仕事がしたかったんです。営業職で主にタバコを扱っていて、競合プレゼンで高倉健さんを起用したLARKの広告を提案して採用していただきました。20代で高倉健さんとお仕事をご一緒できたことは、私の財産です。

その後、アディダス ジャパンに転職しました。

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――もともと、ご自身もスポーツをされていたんですよね?

井原 ずっとソフトボールをやっていて、アメリカンスクールに通い始めてサッカー部に入りました。その頃から「いつかサッカー関連の仕事をしたい」という想いはありました。

ちょうど日本で「アディダス ジャパン」という法人が設立されるということで、人を探していたんですね。私はずっと広告をやっていたので「メーカーに行って何ができるんだろう?」とも思ったんですが、やっぱりスポーツが好きですし、コミュニケーションの知見もあり、ブランドビジネスも理解できているということもあって、それなら私に合うだろうということで、マーケティング・コミュニケーションと呼ばれる宣伝広報を担当していました。

――当時、どんなお仕事を手掛けられたんですか?

井原 当時はなんと言っても2002年の日韓ワールドカップですね。あまりに大変な事件があり過ぎて、開幕前に絶対倒れるなと思っていました(笑)。警察に呼ばれたり、渋谷区に怒られたり、チケットの担当者が突然いなくなったり......(苦笑)。

いろいろあったけど、なんとか無事に終わって思ったのが「ここで体験した以上に大変なことは今後起こらないだろう」ということ。あと、まさに今もそうですが、そういう体験って当時は本当に大変でしたが、のちに笑い話になるんですよね。それから怖いものがあまりなくなりましたね(笑)。

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ウォルト・ディズニーの哲学に共鳴! "トラブルバスター"としての心得とは――?

――そして、アディダス ジャパンの次に移ったのが、前職のウォルト・ディズニー・ジャパンですね。

井原 正直、ディズニーにそこまで興味があったわけではないんです。だから正直「今更私がディズニーに行って役に立つことはできるんだろうか?」と思っていました。

そこで、ディズニーについて自分なりに勉強してみたのですが、ウォルト・ディズニーが「私たちの仕事は人々をハッピーにすることである」ということを言っていて、ほかにもいろんな言葉を残しているんですが、その哲学にすごく共感しました。私が目指しているものと一緒だと。

アディダス ジャパンでの仕事が自分と合っていたこともあって、逆にそれまで自分と接点がなく「役に立つのかどうか分からない」というのも面白そうだなと思いました。失うものもないしやってみようと思って挑戦しました。

実際、入社してみたら、それまでで最長の15年もいたんですから、人間、何が自分に向いているか分からないものですね。

――ディズニーでの15年間の中で、新たな自分の発見はありましたか?

井原 15年で七つの部署を体験したんですが、そこまであちこちの部署を経験している人間はほかにいないと思います。そのほとんどが「火中の栗を拾う」というタイプの異動で(笑)、うまく機能していない部署に行くことが多かったんですが、そういう仕事が自分でも嫌いじゃないんです。「どうしたらうまくいくか?」を考えることで、自分の中で開花する部分があるんですよね。

未経験の映画チームで『アナと雪の女王』を担当! 「やってみないと分からない」

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――"解決屋""トラブルバスター"的な存在として、行く先々でいろいろな問題を解決していったんですね?

井原 そうですね(笑)。たいていの問題は"人"に関すること――仕事の問題の8割くらいは人間関係なんです。

それ以外では、2011年の「ウォルト・ディズニー生誕110周年記念」関連の仕事ですね。私は当時、ライセンスチームにいたんですが、映画興行に関してはディズニーも苦戦していた時期でして、ライセンスチームとしては何かしらビジネスのきっかけを作らなきゃいけない状況でした。

そこでいろんなアイデアを出したんですが、その一つが全国を巡回する「ウォルト・ディズニー展」をやること。サンフランシスコにあるウォルトの娘さんが作った「ウォルト・ディズニー・ファミリー博物館」の展示のいくつかを日本に持ってこられないかと考えました。

そこでも、開催を前に「ウォルト・ディズニー・ファミリー博物館」からまさかの「協力できません」という返事があり......(苦笑)。私は既にクライアントにプレゼンをした後で、銀座松屋さんには開催期間の延長のお願いまでしていたんです。

そこからもう一度交渉して、結果的には無事に展覧会も開催できて、大成功だったんですが、あの時は、私の人生でもベスト3に入る大ショックでした......(苦笑)。

それから映画チームに移ることになりました。そこで、宣伝戦略から邦題の決定、キャスティングにまで関わったのが『アナと雪の女王』でした。まさかあそこまでの大ヒットになるとは思わなかったんですが、あれよあれよという間に週末興行収入ランキング16週間連続No.1で興行収入255億円にまでなりました。巡り合わせという意味で、非常にツイていたと思います。

正直、映画の宣伝は専門性の高い仕事だと思っていたので、異動の話をいただいた時、最初は断わったんです。それでもともう一度、声をかけていただいて、異動したんですが、やってみたら映画の宣伝が自分に一番合っていた気がします。だから、やっぱりやってみないと分からないなって思いますね。

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後編に続く

取材・文/黒豆直樹  撮影/祭貴義道