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ぶつかる壁はあっても、乗り越えられない壁はない──車いすバスケットボール日本代表キャプテン・豊島 英の哲学

ぶつかる壁はあっても、乗り越えられない壁はない──車いすバスケットボール日本代表キャプテン・豊島 英の哲学

人事総務局広報部 豊島 英

2015年、WOWOW初の「障がい者アスリート雇用」として入社した、リオパラリンピック車いすバスケットボール日本代表豊島 英。生後4カ月で髄膜炎を患い両足に障がいを負った豊島の人生は、中学2年のときに車いすバスケットボールと出会ったことで大きく動いていく──「ぶつかる壁はあっても、乗り越えられない壁はない」。これまでも幾多の壁を乗り越えてきた豊島は、2020年東京パラリンピックでのメダル獲得に向けて、アジアパラ競技大会日本代表キャプテンとして10月6日より開催される大会へと臨む。豊島が語る車いすバスケットボールへの想いと哲学とは?

東日本大震災を乗り越え、2012年ロンドンパラリンピックに出場

──最初に、車いすバスケットボールとの出会いについて教えてください。

中学2年生のとき、当時通っていた養護学校の体育教師から「車いすバスケットボールの講習会があるから参加してみたら?」と言われて行ってみたのが出会いですね。ちょうど「パラスポーツを何か始めたい」と思ってたので、いい機会でもありました。

──実際に体験した車いすバスケットボールはいかがでしたか?

養護学校にバスケットボール用の車いすがあったので、乗ったり、乗ったままシュートしたりということは元々やっていましたが、実際に選手たちがシュートを打ったり、早いトランジション(攻守の切り替え)のなかで試合を行っている姿を見て、自分が想像していたものよりも遥かにカッコよかったので、「カッコいいな。自分もできればやってみたいな」と思いました。

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──それで2003年、地元福島県の「TEAM EARTH」に入ったのですね。

そうですね。そのまま高校を卒業するまでTEAM EARTHに所属して、卒業してからも2年間ぐらいかな? TEAM EARTHでプレーしていたと思います。

──どの段階で「本格的に車いすバスケットボールをやっていこう」と思ったのでしょうか?

就職するか大学に行くかの進路を決めるときに、「関東や仙台の強豪チームで車いすバスケットボールをやるために、大学に行きたい」と親に伝えましたが、「バスケットボールをやるために大学に行くのはダメ」と却下されたので(笑)、「それなら就職してバスケットボールをするしかないな」と福島県で就職しました。就職先も関東に転勤がある会社を選んで、転勤を狙って(笑)。なので、高校卒業後すぐは......日本代表を目指して車いすバスケットボールをやりたいけれど、自分の環境が整っていないという我慢の時期でした。

でも、じっともしていられずに(笑)、福島県に住んでTEAM EARTHに所属しながらも、宮城県に足を運んで「宮城MAX」の練習に混ぜてもらったり、関東に通ったりと、自分で練習環境を見つけながら「競技に専念していこう」と動いていました。
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所属する宮城MAXでは今年日本選手権10連覇の偉業を達成 

──その後、2009年に日本代表候補の合宿に初召集されて、2010年にはA代表入りを果たし、2012年のロンドン大会で初めてパラリンピックに出場するという流れですね。

全国から集まった選手の強化合宿となると、みんな上手いし、速いし。そのなかで、自分のスピードが買われて選ばれたという感じではありましたが、「上には上がいる競技で、全然追い付かないなあ」と自覚しながら臨んでいました。

初召集から2012年のロンドン大会までは、本当にあっという間な感じでした。もちろん毎年選考があったので、強化指定選手に選ばれないことにはパラリンピック出場のチャンスもないということで、1年1年大変でしたが......特に2011年は東日本大震災もあり、結構辛い時期を過ごしたと思います。。

──どのように辛かったのでしょうか?

当時、自分は東京電力で働いていましたが、バスケットボールを続けるために辞めたんです。そこにはいろんな葛藤がありました。バスケットボールを続けていってもいいのか、どうやって続けていったらいいのか...結局バスケットボールを続けるために、宮城県警に転職しましたが、環境が変わったことで難しいところもあって。そういったなかでロンドン大会を迎えたので、嬉しい反面、大変だったなあとも思います。

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WOWOWの「障がい者アスリート雇用」でバスケットボールに専念

──ロンドンパラリンピックは9位という結果でした。次のリオデジャネイロ大会へ、どういった気持ちで向かっていたのでしょうか?

ロンドンが終わって体制が変わり、バスケットボールのスタイルも変わり...ロンドンでは出場時間が少なかったんですが、新しいチームを作っていくうえでスタートのメンバー5人のなかに入ったのでやる気にもなりました。「4年後は自分たちが結果を出していかないといけない」と強く感じたので、すぐにリオへ向かってスタートをきった感じですね。

──2016年のリオデジャネイロ大会を目指している途中、2015年にWOWOWに転職されました。なぜWOWOWを選んだのでしょう?

一番の理由は、リオで結果を残すためにも練習時間を増やしてプレーを磨き、競技力の向上を目指したいというのがありました。県警で働いているときは、なかなか練習時間が確保できなかったということもあって......すでにロンドン大会から2年経っていましたが、このままリオまで2年間、県警で働きながらバスケットボールをやり続けていても、結果を出すことは難しいんじゃないかと感じたんです。

そんななかでWOWOWが障がい者アスリート採用をしているという話を聞いて、「チャンスだ」と思ってすぐに応募しました。とはいえ、悩んだのも事実ですね。宮城県に住んでいて、宮城県で就職活動をして県警に入ったということもあったので、そんなに簡単に辞められないなとも思って......でも、WOWOWの障がい者アスリート雇用だったら、バスケットボールに真剣に取り組むことができるだろうし、会社側が求めていることと合致するだろうと思って転職しました。

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──2016年のリオデジャネイロ大会はロンドン大会と同じく9位ということで。とはいえ、豊島さんにとっても前回の9位と意味合いはだいぶ違ったと思うのですが?

そうですね。結果だけみると変わっていないので、納得のいかない悔しい大会ではありましたが、点差も縮まっているし、4年間を通して勝った回数は遥かに多くなったので、少しずつですが「世界相手に勝てるようになってきたな」とは感じました。でもやっぱり、まだまだ先は遠いといいますか...リオではベスト6以上を目標にしていましたが、「いまのままだと決勝トーナメントにも進めないし、ベスト6にも届かないんだな」と改めて感じました。

──リオが終わってから、豊島さんは日本代表のキャプテンに指名されました。キャプテンとして、どのような意識を持ってチームづくりに臨みましたか?

「どういったキャプテンになりたいかは、この4年間を通して作っていけばいい」と言われていたので、初めから「こういうキャプテンになりたい、こういうチームにしていきたい」というのはなかったんですが、エースやキャプテンに他の選手が委縮して、なにも発言できない、みたいなチームにはなりたくないと思っていたので、まず一番初めに「一人ひとりがリーダーシップをとって臨んでほしい」というのは伝えました。

いまのチームは下が19歳、上が34歳なので、自分はちょうど真ん中ぐらいなんですが、そういった年齢も関係なく、立場もポジションにも関わらず、言いたいことは言ってほしいということだけは伝えましたね。いまは個人で会話する機会が増えていったり、年下が年上に質問する機会が増えていったり、みんなが発言できる環境を無理やり作ったりしているので、以前よりも何でも言えているんじゃないかな? と思っています。

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いまの日本代表メンバーは、全員本気で「メダル獲得」を目指している

──今年8月には世界選手権があって、10月6日からアジアパラ競技大会が開幕と、着々と2020年に向けて進んでいっているなか、いまのチームの雰囲気はどんな感じなのでしょう?

ベスト4以内を目指していた世界選手権ですが、9位という結果に終わって...。でも、リオのときと比べても、さらに手応えを感じているので、自分だけでなく他の選手も自信を持っていると思いますね。これから2年間、もっともっと磨きをかけていければ、かならずメダルに手が届くと信じて、メダル獲得を目標に臨んでいます。

1年間の強化指定選手は24人いるんですが、その24人も変わっていくので毎年チームを作るのは大変ではありますが、一人ひとりが本気でメダル獲得を目標にして、同じ方向を向いていけるのは大きいです。以前だと「メダル獲得が目標」と言っていても、どこかで「でも、そこには届かないだろう」といった本心があったと思うんです。でもいまは、そういう選手はひとりもいないと思うので、みんなを信じて2年間やっていきたいですね。Wtys074.jpg

──各国のチームと比較したときに、日本チームの特徴はどういった点にあるのでしょうか?

日本は攻守の切り替えが速いので、嫌がられるチームではありますね。それに、前半は高さやパワーで点を離されたりもしますが、日本は40分間を通して12人でプレータイムをシェアしていくので、最後の最後で勝つことができるチームになってきています。海外のチームは12人を使って試合をするという意識があんまりなくて、上手い選手が主体となってゲームを作っていくので戦力が偏って、最後のほうで体力がなくなってしまうんです。そういう意味では、日本がいちばんプレータイムをシェアできているんじゃないかなと思います。

──個の力ではなく、チームの力で勝っていくということですね。

そうですね。どの5人が出ても同じことをやるのではなく、いま出ている相手チームにはどの5人が合うか。相手のディフェンス・オフェンスのシステムに合わせて、チームを組み立てていく感じですね。どちらかというと、海外のチームは自分たちのやりたいプレーをぶつけてくるんですが、それをさせないように、日本チームはどの5人をどこで使うか、40分間最後まで見極めながら、勝負どころで使っていくイメージです。

──そういった戦術の面白さにも注目していきたいと思いますが、これまで車いすバスケットボールに馴染みがなかった人に対して魅力を伝えるとしたら、どんなところにあるでしょうか?

個人的には、スピードと激しさが魅力だと思っていますが、初めて観る方や、車いすバスケットボールに関わりがない方には、「健常のバスケットボールと車いすバスケットボールのルールには差がない」というのが、一番伝わりやすいのかなと思います。

車いすバスケットボールにはダブルドリブルがないというのと、パラスポーツなので障がいに合わせた持ち点制度があるという違いはありますが、それ以外は普通のバスケと同じなので、同じ感覚で車いすバスケットボールを観ることができる、体験することができるというのは、他のパラスポーツよりも伝わりやすい部分かと思います。

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──他の大会とは違う、パラリンピックの魅力はどこにあると思いますか?

パラ競技大会の最高峰なので、純粋に「出たい」というのが最初の思いでしたが、実際に参加してみると......国は盛り上がっているし、他の競技も開催されているし、結果を出せたら注目されるわけですから。やっぱり「勝って結果を出したい」と強く思いますよね。

他の大会でもナンバーワンを決めるので、対戦国との戦いにはなりますが、パラリンピックでは日本チーム団として、他の競技の選手も含めてみんなで臨んでいるという空気が大きくて......他の競技がメダルに絡む試合をしていたら、「自分たちも負けていられないな」と思いますし、そういった良い相乗効果も生まれるような大会なので、楽しく臨めますよね。でも、なによりも一番強いのは「ここで結果を出したい」という思いです。

目標を見失わなければ、必ず選択肢を自分で見つけて進んでいける

──WOWOWの障がい者アスリート雇用として人事総務局広報部に所属する豊島さんですが、車いすバスケットボールのトレーニングや試合のほかに、どのような活動をされているのでしょうか?

学校に行って体験会をしたり、講演会をしたりするのが多いですね。体験会は、子どもたちに楽しみながら車いすバスケットボールと触れ合ってもらうのが目的なので、一緒になってワイワイ楽しくやっています。年齢が小さければ小さいほど、目の前にある競技車やボールに対しての集中力がすごいので、僕らとしても面白いですよね。

──講習会ではどんなことを伝えるようにしているのでしょうか?

「大変だった部分も伝えてください」といったご依頼をいただくことが多くて......もちろん伝えますが、辛かったことを子どもたちに話したところでなかなか響かないと思うので、「自分のやりたいことを見つけて、最後までやってみたらいいよ」ということを伝えています。「それがスポーツだろうが何だろうが関係なくて、とにかくやりたいことを見つけたらいいんじゃない?」と。

それに、「障がい者を特別扱いしなくていいよ」とも伝えていますね。もちろん障がいのレベルにもよりますが、例えば僕がひとりでいたとして、声をかけてもらえなくても大丈夫だよと。手伝ってほしいときは僕のほうから声をかけるし、手伝いを求めていないときは、もちろんアクションしてくれようとすることは大切ですが、「そんなに特別扱いしなくてもいいよ」と伝えています。これから彼らが大人になっていくうえで、障がい者と関わる機会も増えてくると思うので、そういったときに思い出してくれるといいなあと思います。toyoji.png

各地で積極的な講演活動を行い車いすバスケの魅力を伝える

──豊島さんが人生で大切にしていることは何でしょう?

「ぶつかる壁はあっても、乗り越えられない壁はない」というのは常に意識しています。どんな局面に当たっても、なんとかして打開していこうと思っていますね。競技にかぎらず日常生活においても、「コレ」という目標があると、それに向かってやっていこうとするので。「どうやったらそこに行けるか」を考えて、他に逸れることはまずないと思うんです。

ですから、目標や「これをしたい」といった明確なものを持とうと常に思っています。それって震災を通して気付いたことなんですが、「目標を見失わなければ、必ず選択肢を自分で見つけて、その目標に行ける」と。自分はそれでここまでやって来れたので、自分を見失わない軸を持つことはやっぱり大切だなと感じています。

──そのときそのときで目標を持つようにしている?

そうですね。「パラリンピックに出たい」とか「東京でメダルをとりたい」とか、そういった大きな目標ですね。

──ちなみにいまは?

もちろん、2020年のパラリンピックでメダルを獲ることです(笑)。

──では最後に、2020年への意気込みを聞かせていただけますか。

まず一番に、地元で開催されるパラリンピックに、プレーヤーとして、キャプテンとして出場できるチャンスがあるというのが純粋に嬉しいです。ロンドン大会もリオデジャネイロ大会も9位という結果は変わっていませんが、海外を相手に接戦となったり、勝てる試合も増えてきたりと、毎年毎年ステップアップしていることを実感しています。

若い選手も入って、新しい日本代表のスタイルが確立されてきたなかで、2020年に結果を残せるだけのメンバーがいま揃っていると思うので、このメンバーでかならずメダルを獲りたいと思っています!

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【プロフィール】
豊島 英(とよしま・あきら)
1989年生まれ、福島県出身。生後4ヶ月の時に髄膜炎を発症し、両足に障がいを負う。車いすバスケットボールの「スピード」に魅了され、地元のチームで活動を始め、2009年、宮城MAXへ移籍。その翌年、日本代表に選ばれると持ち前の「スピード」を活かしたプレーでロンドン大会や世界大会で活躍した。2015年4月に、バスケに打ち込みたいとWOWOWに入社。2012年ロンドンパラリンピック、2016年リオパラリンピックの2大会連続で日本代表として出場。2016年10月より2018年4月まで、ドイツのKöln 99ersにて活躍。体験会や講演活動を多くこなし、車いすバスケの普及活動も行っている。豊島 英選手の近況はFacebook(@akira.toyoshima.wowow)をチェック!

撮影/川野結李歌 取材・文/とみたまい 制作/iD inc.

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